アブドゥルムウミン
アブドゥルムウミン('Abd-l-Mu'min,1096年 - 1163年)は、ムワッヒド朝の始祖(在位:1130年 - 1163年)。
生涯[編集]
ムラービト朝に対して宗教運動を繰り広げた活動家でマフディーを称したイブン=トゥーマルトに仕えた。彼とは5歳違いであり、仲のいい友人だったという。1130年にイブン=トゥーマルトが戦死する前に後継者に任命されていたが、後継者として公表されたのは1133年のことである[1]。回教暦554年にはアミール・アル=ムウミニーンを指導者の称号として名乗った[2]。
ムラービト朝への反乱を続け、モロッコ一帯をほぼ制圧。1147年にはマラケシュを攻撃してムラービト朝を滅亡させた[3]。この頃、ノルマン人などキリスト教国がムラービト朝の衰退を見て北アフリカに進出しており[4]、アブドゥルムウミンはキリスト教国とも交戦するが、西方(アル=アンダルス)の確保については外交活動のみで満足している[5]。その過程でハンマード朝やズィール朝を滅ぼした。アフリカ東部へ領土を拡張する機会をねらい、シシリーのロジェ2世の脅威と出会う。1151年の作戦により現在のアルジェリアの半分を手に入れ、1159年から1160年にかけての作戦によりチュニス、カイラワーン、アル=マフディーヤをふくむチュニジアと東はトリポリにいたる北アフリカをその版図とすることになる[6]。1160年から1161年にかけては自らジブラルタル海峡を越えてセビーリャなどを支配下に置いた[7][8]。
一方で国家を磐石なものとするため、イブン=トゥーマルトの子孫を根絶やしにしたりした。1163年に68歳で死去。跡を子のアブー=ヤアクーブ・ユースフ1世が継いだ。
モスクを数多く建設したことでも有名で、その遺構が現在のマラケシュに残る。
脚注[編集]
- ^ W.M.ワット 『イスラーム・スペイン史』 岩波書店、1976年、P.133。
- ^ アミール・アリ 『回教史』 善隣社、1942年、P.472。
- ^ W.M.ワット 『イスラーム・スペイン史』 岩波書店、1976年、P.133。
- ^ 1072年にパレルモ、1123年にマフディーヤ、1135年にジェルバ島を占領していた
- ^ W.M.ワット 『イスラーム・スペイン史』 岩波書店、1976年、P.133。
- ^ W.M.ワット 『イスラーム・スペイン史』 岩波書店、1976年、P.134。
- ^ W.M.ワット 『イスラーム・スペイン史』 岩波書店、1976年、P.134。
- ^ 1145年にもイベリア半島に進出している
参考文献[編集]
- W.M.ワット『イスラーム・スペイン史』(1976年、岩波書店)
- アミール・アリ、塚本五郎・武井武夫 訳『回教史 A Short History of the Saracens』(1942年、善隣社)
|
|
|