アビゲイル・アダムズ
| アビゲイル・アダムズ Abigail Adams |
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1766年ベンジャミン・ブライスによる肖像画
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| 生誕 | 1744年11月11日 マサチューセッツ湾直轄植民地ウェイマス |
| 死没 | 1818年10月28日 マサチューセッツ州クインシー |
| 職業 | ファーストレディ |
| 配偶者 | ジョン・アダムズ |
アビゲイル・アダムズ(Abigail Adams、1744年11月11日 - 1818年10月28日)は、第2代アメリカ合衆国大統領夫人(ファーストレディ)。第2代大統領ジョン・アダムズの妻であり、第6代大統領ジョン・クィンシー・アダムズの母である。マサチューセッツ湾直轄植民地(現マサチューセッツ州)のボストン郊外、ウェイマスに生まれた。
アビゲイルは夫ジョンが大陸会議でフィラデルフィアに赴いている際、夫に充てた多数の手紙で知られている。ジョンはアビゲイルに対し、多岐にわたる相談を頻繁にしており、交わした手紙は政治や政府に関する意義深い対話で満ちていた。2人の間に交わされた手紙は独立戦争時の史料として、また政治批評の資料として貴重なものとされている。
目次 |
生涯[編集]
生い立ち[編集]
アビゲイルは1744年11月11日、マサチューセッツ湾直轄植民地ウェイマスのノース・パリッシュ会衆派教会で、ウィリアム・スミスとエリザベス・クインシー・スミスの子として生まれた。母方は、マサチューセッツ湾直轄植民地では名の通った政治家一家、クインシー家であった。母エリザベスを通じて、ジョン・ハンコックの妻であったドロシー・クインシーと従姉妹の関係にあった。
幼い頃のアビゲイルは病弱で、学校に通えるほど健康ではないと思われていた。このため、公の教育は受けられなかったが、アビゲイルは2人の姉たちとともに母から読み書きや算数を教えられた。また、父、おじ、祖父の書斎のおかげで英文学や仏文学を学習することもできた[1]。
結婚と出産[編集]
ジョンは少年時代からスミス家のことを知っていたが、自分より9歳年下の病弱な子であるアビゲイルを気に留めることは無かった。しかしジョンは1762年、友人でありアビゲイルの姉の婚約者でもあったリチャード・クランチを通じてアビゲイルに会ったところ、小柄で内気な17歳の少女に心を惹かれてしまった。ジョンは、アビゲイルの詩や哲学、政治といった当時の女性にとっては不適当とされた分野の知識が豊富であることに驚いた。
アビゲイルの父親は二人の結婚に賛同し、母親も驚いたものの最終的には折れることとなった。1764年10月25日、二人はウェイマスにあるスミス家で結婚した。式の後、二人はジョンの父から受け継いだ農場とコテージに住み、後にボストンに移った。1765年に長女アビゲイル・アダムズ・スミス(ナビィ)が誕生した後、1767年に生まれた長男ジョン・クィンシー・アダムズなど、1777年までに6人の子を産んだ(1777年のエリザベスは死産)。
1784年、アビゲイルは娘ナビィとともに、夫ジョンが外交官として赴任しジョン・クインシーと一緒に住んでいたパリに渡った。翌1785年以降、初代イギリス駐箚アメリカ合衆国全権公使として着任したジョンの妻として、精一杯の役割を果たした。夫妻は、1788年にアメリカに戻り、「Old House」の通称で知られるクインシーの家に帰った。この建物は、アビゲイルによって大きく増改築が施され、現在でもアダムズ国立歴史公園に現存し一般公開されている。
ファーストレディー[編集]
ジョンが第2代大統領に就任後の1800年、首都がフィラデルフィアからワシントンD.C.に移され、ホワイトハウスに最初に入ったファーストレディーとなった。アビゲイルは初代ファーストレディーのマーサ・ワシントンと異なり、政治面や政策面で活動的だった。そのあまりの活発さから、政敵たちからは「Mrs. President」と呼ばれるほどであった。
1800年の大統領選挙でジョンが敗れると、1801年に一家はクインシーに退いた。しかし、当時書いていた手紙を見ると、アビゲイルは息子の政治的キャリアを真剣に支援していた。後年、アビゲイルは夫の政敵であり自身を深く傷つけたトーマス・ジェファーソンとの手紙のやり取りを再開している。
晩年[編集]
1818年10月28日、アビゲイルは腸チフスのため亡くなった。遺体はクインシーのユナイテッド・ファースト・パリッシュ教会にジョンの隣に埋葬されている。最期の言葉は、「友人よ、親愛なる友人よ、どうか嘆き悲しまないで。私はもう準備ができている。ジョン、もうそう長くはないわ」だった。
政治的な立場[編集]
女性の権利[編集]
アビゲイルは結婚した女性の財産権や女性がより多くの機会、特に教育分野における機会を得ることに対し、先駆者的な主張を行った。アビゲイルは、「女性たちは、自分たちの権利のために作られていない法律に従うべきでない」、また「女性たちは、単に夫の相手役としての単純な役割に満足してはならない」と信じており、女性たちが自ら学ぶことにより知力として認められることにより、彼女たちの夫や子供の人生を導いたり影響を与えたりすることができるだろうと考えていた。
アビゲイルは、1776年に夫のジョンと大陸会議に宛てた手紙においても知られている。その中で彼らに対しアビゲイルは「...女性たちのことを忘れないでください。そして彼女たちに対して寛大かつ好意的であってください。夫の手中にかようにも絶大な権力を与えないでください。全ての男たちが、暴君となりうることを忘れないでください。もし女性たちに特別の注意が払われないのならば、私たちは謀反を煽動することを決心するとともに、私たちの声が反映されていないいかなる法律に私たちが縛られることもないでしょう」と求めている[1]。しかし、アビゲイルによる「風変わりな法」の求めはジョンに断られてしまった。
奴隷制度[編集]
アビゲイルとジョンは、奴隷制がアメリカの民主主義の実験に対する悪と脅威であると考えていた。1776年3月31日に書かれた彼女の手紙では、バージニアの人々が「奴隷から自由を奪って」以来、果たして彼らの大部分が主張しているような「自由に対する情熱」を持っているのかと疑問を呈している[1]。
奴隷制度に対するアビゲイルのスタンスについて注目すべき事件が1791年にフィラデルフィアで発生している。奴隷でない黒人の若者が、彼女の元を訪れて読み書きを教えてもらえるよう頼んだ。彼女は、近隣からの反対が無かったわけではないが、彼を地元の夜間学校に委ねた。アビゲイルは、彼が「他の若者と同じ自由民であるのに、単に肌色が違うというだけで教育が断られてしまうのか?どうすれば彼は生計を立てる資格を得るのか?…私は、彼をリビングに連れて行き読み書きを教えることが恥ずかしいことだとは思ったことがありません」と答えた。
宗教観[編集]
アビゲイルは、1753年にユニテリアン主義に転じて以降、夫のジョンと同じくクインシーの第一教区教会において熱心に活動を行った。
死後[編集]
記念碑など[編集]
クインシーの郊外に、「アビゲイル・アダムズ・ケアン」というケルンがある。アビゲイルと息子のジョン・クインシーがバンカーヒルの戦いとその戦火で炎に包まれたチャールズタウンを見たとされる丘の近くに立っている。眼下に闘いの光景を見ていた際、彼女はマサチューセッツ植民地議会の議長であったジョセフ・ウォーレンの子供たちのことを懸念していた。しかし、ウォーレンはこの戦闘で命を落としている。
ワシントンD.C.にあるアダムズ・メモリアルは、アビゲイルと夫、そして二人の家族を記念して造られている。
文化[編集]
アビゲイルからジョンに送られた手紙の文章は、ブロードウェイのミュージカル作品「1776」で著名なものとなった[1]。1969年のミュージカルと、1972年の劇場映画版では共にヴァージニア・ヴェストフがアビゲイル役を務めた。また、1976年にPBSが制作した「The Adams Chronicles」では、キャスリン・ウォーカーが演じている。さらに2008年のHBOによるミニシリーズ「ジョン・アダムズ」ではローラ・リニーがアビゲイル役となり、リニーはアビゲイル役を演じることについて「彼女は情熱と理念の両方を備えた女性ね」と話している。
通貨の肖像[編集]
造幣局が大統領記念1ドル硬貨に併せて発行したファーストレディ記念10ドル金貨およびブロンズメダルのシリーズでは、アビゲイルのものが2007年6月19日に発行され、数時間のうちに完売となった。コインの表面には肖像画が、裏面にはジョンに宛てて手紙を書いている場面が描かれている。
脚注[編集]
- ^ a b c d Laurie Carter Noble. “Abigail Adams” (英語). Unitarian Universalist Historical Society. 2010年7月26日閲覧。
外部リンク[編集]
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