アナ・デ・アウストリア

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アナ・デ・アウストリア

アナ・デ・アウストリア(Ana de Austria, 1549年11月1日 - 1580年10月26日)は、スペインフェリペ2世の王妃。ドイツ語名アンナ・フォン・エスターライヒ(Anna von Österreich)。

父は神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世、母は皇后マリア(フェリペ2世の妹)。バリャドリッドで生まれ、4歳からウィーンで育った。

3度目の王妃エリザベート・ド・ヴァロワを亡くしたフェリペがアナを王妃に望んだが、フェリペとアナが実の伯父・姪の間柄であるため、ローマ教皇ピウス5世が反対した。

結局、教皇が認可したため、2人は1570年5月プラハで結婚した。2人の間には5子が生まれた。

1580年、フェリペはポルトガルを併合したため、アナはポルトガル王妃になった。しかし同年、アナは接触性の伝染病にかかり、バダホスで急逝した。