アドルフ・ブーテナント

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ノーベル賞受賞者 ノーベル賞
受賞年:1939年
受賞部門:ノーベル化学賞
受賞理由:性ホルモンの研究

アドルフ・フードリヒ・ヨハン・ブーテナント(Adolf Friedrich Johann Butenandt, 1903年3月24日 - 1995年1月18日[1])は、ドイツ帝国ブレーマーハーフェン出身の生化学者で性ホルモンエストロゲンアンドロステロンの結晶単離[1]プロゲステロン結晶化[1])研究の[1]功績により1939年ノーベル化学賞を受賞している[1]。またそれらの研究成果により避妊薬開発に道を開いた[1]

ブレーマーハーフェンとベフェアーシュテットで幼年期をすごした。アドルフ・ヴィンダウスの元、ゲッティンゲン大学マメ科デリス属における生理学的効果を持つ化合物たるロテノン化学構造について研究を行い卒業した。学位取得後の1931年から女性ホルモンの研究を始め、ゲッティンゲン大学の有機化学及び生化学の研究室の指導者となった。1933年ダンツィヒ工業大学(現グダニスク工科大学)の教授となる。1935年にはハーバード大学を視察し、1936年にはダーレムのカイザー・ヴィルヘルム研究所の生化学部部長となった。ドイツ第三帝国では人の肝臓を使った抗生作用を研究したので現在でも物議をかもしている。1938年にはベルリン大学名誉教授となった。1939年に性ホルモンの研究でノーベル化学賞受賞が決定したが当時のナチス政権により辞退させられ、第二次世界大戦後に改めて受賞した[1]。その後カイザー・ヴィルヘルム研究所はマックス・プランク生化学研究所となったがそこでも研究を続けた。1960年から1971年までは同研究所の所長となり、同研究所の所在地であるミュンヘン名誉市民となった。1995年1月18日、同市で逝去、91歳[1]。死因は非公表[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 朝日新聞大阪版夕刊 1995年1月19日 13面。