アテネオリンピック (1896年) におけるテニス競技

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1896年アテネオリンピックにおけるテニス競技の成績結果に関する記事。

大会の流れ[編集]

  • 第1回近代オリンピックでは、テニス競技は男子シングルス・男子ダブルスの2部門のみで始まった。男子シングルスには15名、男子ダブルスには6組が出場した。
  • 男子シングルスでは、準決勝で敗退した選手2名による「銅メダル決定戦」は行わず、両方に銅メダルを授与した。男子ダブルスの銅メダルは1組。
  • 男子ダブルスでは、違う国の選手がペアを組む「混合チーム」(ZZX)もあった。この場合は「国・地域」の欄に2つの国名を並べ、選手名もその順番によって記載する。国別メダル受賞数の欄では「混合チーム」として別途に数える。

メダル受賞者[編集]

種目
男子シングルス イギリス ジョン・ピウス・ボーランド
イギリス (GBR) [1]
ギリシャ ディオニシオス・カスダリス
ギリシャ (GRE) [2]
ハンガリー モムシロ・タパヴィツァ
ハンガリー (HUN)
ギリシャ コンスタンティノス・パスパティス
ギリシャ (GRE)
男子ダブルス 混合チーム ジョン・ピウス・ボーランド [1]
and フリードリヒ・トラウン
混合チーム (ZZX) [3]
混合チーム ディオニシオス・カスダリス [2]
and ディミトリオス・ペトロコキノス
混合チーム (ZZX) [4]
混合チーム エドウィン・フラック
and ジョージ・ロバートソン
混合チーム (ZZX) [5]

競技結果[編集]

男子シングルス[編集]

準決勝
ギリシャの旗 ディオニシオス・カスダリス 結果現存せず ハンガリー王国の旗 モムシロ・タパヴィツァ
イギリスの旗 ジョン・ピウス・ボーランド 結果現存せず ギリシャの旗 コンスタンティノス・パスパティス
決勝
イギリスの旗 ジョン・ピウス・ボーランド 6-3, 6-1 ギリシャの旗 ディオニシオス・カスダリス

男子ダブルス[編集]

準決勝
混合チーム ジョン・ピウス・ボーランド
フリードリヒ・トラウン
結果現存せず ギリシャの旗 アリスティディス・アクラトプーロス
コンスタンティノス・アクラトプーロス
混合チーム ディオニシオス・カスダリス
ディミトリオス・ペトロコキノス
結果現存せず 混合チーム エドウィン・フラック
ジョージ・ロバートソン
決勝
混合チーム ジョン・ピウス・ボーランド
フリードリヒ・トラウン
5-7, 6-4, 6-1 混合チーム ディオニシオス・カスダリス
ディミトリオス・ペトロコキノス

国別メダル受賞数[編集]

国・地域
1 混合チーム 混合チーム 1 1 1 3
2 イギリス イギリス 1 0 0 1
3 ギリシャ ギリシャ 0 1 1 2
4 ハンガリー ハンガリー 0 0 1 1
  • 男子ダブルスの「混合チーム」によるメダルは別途に数え、各選手が所属する国のメダル獲得数には含めない。(例:ダブルス金メダルの場合、ジョン・ピウス・ボーランドの属する「イギリス」やフリードリヒ・トラウンの属する「ドイツ」の獲得メダル数には含めない。)

脚注[編集]

  1. ^ a b 金メダリストのジョン・ピウス・ボーランドはアイルランドの選手であるが、IOCのオリンピック選手データベースではイギリス イギリスに掲載されているため、男子シングルのメダル獲得数一覧でも「イギリス」に数える。[1]
  2. ^ a b 銀メダリストのディオニシオス・カスダリスは、IOCのオリンピック選手データベースでは「ギリシャ」(GRE)に掲載されており [2]、男子ダブルスでもパートナーのディミトリオス・ペトロコキノスとともに「ギリシャ」チームとして掲載されている[3]。カスダリスはエジプトアレクサンドリアに在住していたことから、文献によっては「エジプト」と記載しているものもある[4]
  3. ^ ジョン・ピウス・ボーランドはイギリス イギリス、フリードリヒ・トラウンはドイツ ドイツ混合チーム
  4. ^ ディミトリオス・ペトロコキノスはギリシャ ギリシャ、ディオニシオス・カスダリスはシングルではギリシャ扱いとされているが、ダブルスではギリシャ扱いされず混合チーム扱い。
  5. ^ エドウィン・フラックはオーストラリア オーストラリア、ジョージ・ロバートソンはイギリス イギリスの混合チーム。

外部リンク[編集]