アゼルバイジャン・マナト
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アゼルバイジャン・マナト(Azerbaijani manat)はアゼルバイジャンの通貨単位。ISO 4217コードはAZNである。補助通貨はケピックで、1マナト=100ケピックである。マナトという言葉は、ロシア語で「硬貨」を意味する言葉である。アゼルバイジャン語とトルクメン語では、ロシア・ルーブルも意味する。
アゼルバイジャン・マナトの記号である
は、Unicodeでは規定されておらず、mやman.ман.などの文字で代用されている。
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[編集] 第1期:1919年-1923年
アゼルバイジャン民主共和国とアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国によって、1919年から1923年の間に独自の通貨が発行された。この通貨はアゼルバイジャンではマナト、ロシアではルーブルと呼ばれた。後にアゼルバイジャンがザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国の一部となると、ザカフカース・ルーブルに替わった。この時期のアゼルバイジャン・マナトには補助通貨がなく、また紙幣しか発行されなかった。
[編集] 紙幣
民主共和国は25,50,100,250,500マナト紙幣を、社会主義共和国は5,100,1000,5000,10000,25000,50000,100000,250000,100万,500万マナト紙幣を発行した。
[編集] 第2期:1992年-2006年
第2期のマナトは1992年8月15日に導入された。ISO 4217コードはAZMだった。流通していたロシア・ルーブルと10ルーブル=1マナトで交換された。2002年初頭から2005年初頭までマナトの為替レートは1アメリカ合衆国ドル=4770-4990マナトとほぼ一定に推移してきた。しかし2005年春頃から、原油価格の上昇とオイルマネーの流入により、マナトの価値が上がり続け、2005年末には1ドル=4591マナトとなった。100マナト以下の紙幣は、2005年に廃止された。
[編集] 硬貨
1992年と1993年に5,10,20,50ケピックの硬貨が発行された。1992年に発行された硬貨には真鍮と白銅が使われていたが、その後はアルミニウム製になった。
[編集] 紙幣
次の種類の紙幣が発行され、流通した。
- 1,5,10,250マナト(1992年発行)
- 50,100,500,1000マナト(1993年発行)
- 10000マナト(1994年発行)
- 50000マナト(1996年発行)
1マナトから250マナトの紙幣には、バクーにあるメイデンタワーが描かれている。
[編集] 第3期:2006年-
2006年1月1日、かつての5000マナトを1とする新しいマナトの流通が始まり、ISO 4217コードもAZNと改められた。2005年10月1日以降、価格は新旧のマナトで表示されるようになった。ISO 4217コードがAZMの旧マナトは2006年12月31日に廃止された。
[編集] 硬貨
1,3,5,10,20,50ケピックの硬貨が発行された。
[編集] 紙幣
1,5,10,20,50,100マナトの紙幣が流通している。デザインしたのは、ユーロの紙幣のデザインも担当したオーストリア人のロバート・カリーナである。紙幣はユーロ紙幣と似ており、モチーフの選択も類似している。
| 第3期マナトで発行された紙幣 | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 額面 | 大きさ | 色 | 図柄 | ||||
| テーマ | 表面 | 裏面 | |||||
| 1 マナト | 120 × 70 mm | 灰 | 文化 | アゼルバイジャンのフォークソングの楽器 | 古代のアゼルバイジャンのカーペットの飾り | ||
| 5 マナト | 127 × 70 mm | オレンジ | 文学 | アゼルバイジャンの古代の作家、詩人、本 | ゴブスタンの岩画、突厥文字 | ||
| 10 マナト | 134 × 70 mm | 青 | 歴史 | 旧バクーのメイデンタワー、シルヴァンシャー宮殿 | 古代のアゼルバイジャンのカーペットの飾り | ||
| 20 マナト | 141 × 70 mm | 緑 | カラバフ地方 | 力の印 | 平和の印 | ||
| 50 マナト | 148 × 70 mm | 黄 | 歴史と未来 | 若者、椅子(進歩の象徴)、太陽(力と光の象徴)、化学と数学(科学の象徴) | 古代のアゼルバイジャンのカーペットの飾り | ||
| 100 マナト | 155 × 70 mm | 赤 | 経済と発展 | マナトの記号 |
古代のアゼルバイジャンのカーペットの飾り | ||

