アキラ (空母)

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CV Aquila LaSpezia Jun51 NAN5-63.jpg
艦歴 (航空母艦としてのデータ)
発注: アンサルドジェノヴァ造船所
起工: 1941年11月
進水:
就役:
退役:
その後: 1946年にスクラップとして廃棄
除籍: 1952年
性能諸元
排水量: 基準:23,130 トン
満載:27,800 トン
飛行甲板長: 211.6m×25.2 m
全長: 235.5 m
水線長: 207.4 m
全幅: 30.1 m
水線幅: 29.4 m
吃水: 7.3 m
機関: ソーニクロフト式重油専焼水管缶8基
+ベルッツォ式ギヤード・タービン4基4軸推進
最大出力: 151,000shp(計画)
最大速力: 30.0 ノット(計画)
航続距離: 18ノット/5,500海里(計画)
燃料: 重油:3,660 トン
乗員: 1,420 名
兵装: OTO1938 13.5cm(45口径)単装両用砲8基
6.5cm(64口径)単装高角砲12基
ブレダM38 20mm(65口径)6連装機関砲22基計82門
搭載機: 51機(戦闘機のみ)

アキラ(portaerei Aquila)はイタリア海軍航空母艦で未成に終わった。艦名の"Aquila"はイタリア語で「ワシ(鷲)」の意味。原音では「アクイラ」または「アクィーラ」と発音される。

概要[編集]

イタリアはワシントン会議で空母保有枠60,000トンを認められたが、空母の必要性を認めない空軍の発言力が強かったため、イタリア海軍では積極的に空母を建造しようとはしなかった。しかし、第二次世界大戦開戦後の戦いにおいて、洋上でのイタリア空軍の支援が受けられない不満から自ずと航空母艦の重要性を感じた海軍は、この時期に及んで航空母艦を求めた。しかし、一から建造する時間的余裕のない海軍は、大戦により港に繋ぎとめられた客船「ローマ(Roma)」(32,120総トン、21ノット)に注目。これを徴用して航空母艦へと改装する事を決定した。

艦形[編集]

本艦の完成予想図

元々は貨客船であったために外観と巡航を重視した船体形状であり、高速を出すのに不向きであった。このため、航空母艦に改装するにあたって艦首と艦尾の構造を延長して成型する事で解決した。艦首は強く傾斜したクリッパー型となり、艦尾も鋭く切り立った形状に改められた。また、水雷防御を強化するために水線部の広範囲にバルジを追加、その内部にコンクリートを詰めて水密化と重心を下げる効果を狙った。

飛行甲板は艦首から艦尾までオーバーハングするように目一杯に張られ、船体中央部右側に大型のアイランド(島型艦橋)煙突が立ち、主マストが斜め後方に立てられていた。対空火器は飛行甲板スペースを狭めないように舷側に張り出し(スポンソン)を設けて広範囲に分散配置されていた。また、飛行甲板には2基のエレベータにより艦載機は運用され、本艦の搭載機として選定されたのはレッジアーネRe2001フィアットG55の艦載用改造機であったが、翼を折畳む機構へと改修ができなかったため、止む無く機体を格納庫の天井に懸吊したり飛行甲板に係止することで搭載機数を51機まで増やした。発艦時には艦首に埋め込まれたカタパルト2基で行う予定であった。

武装[編集]

主砲[編集]

主砲はアンサルド社製「カイオ・ドゥイリオ級戦艦」の副砲にも採用された「1938年型 13.5cm(45口径)砲」を採用した。重量32.7 kgの砲弾を仰角45度で19,600 mまで届かせることが出来るこの砲を、本級では単装砲塔に収めて8基を搭載した。砲架の俯仰能力は仰角85度・俯角7度である。旋回角度は船体首尾線方向を0度として砲塔が左右120度の旋回角度を持つ、主砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に電力で行われ、補助に人力を必要とした。発射速度は毎分6~7発である。

その他の備砲・水雷兵装[編集]

高角砲はアンサルド・テルニ社製「1939年型 6.5cm(64口径)高角砲」を採用した。重量4.08 kgの砲弾を仰角45度で7,500 m、最大仰角で高度5,000 mまで届かせることが出来るこの砲を、本級では単装砲塔に収めて12基を搭載した。砲架の俯仰能力は仰角80度・俯角10度である。旋回角度は240度の旋回角度を持つ、主砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に電力で行われ、補助に人力を必要とした。発射速度は毎分20発である。他に近接火器としてブレダ社製「1940年型 20mm(65口径)機銃」を6連装砲架で22基を配置した。

機関[編集]

高速客船とはいえ、機関出力が34,000馬力で速力21ノットというのはイタリア戦艦よりも低速で問題であったため、工期を短縮するために機関は建造中のカピターニ・ロマーニ級軽巡洋艦に搭載予定であったソーニクロフト式水管缶8基とベルッツォ式ギヤード・タービン4基(カピターニ・ロマーニ級2隻分)を搭載し機関出力151,000馬力で速力30ノットを発揮する予定であった。

艦歴[編集]

「アキラ」と改名された本艦の改造工事はジェノヴァアンサルド社で1941年11月に開始された。しかし、船体の改造が多岐に渡ったため上に資材不足に悩まされて工期は遅延の一途をたどり、1943年9月にイタリアが降伏するまでに完成はしなかった。この後も、ドイツ軍に接収されて工事が続行されたが、連合軍による1944年6月16日の空襲により損傷、このため1945年4月19日には本艦の自沈によるジェノヴァ港の閉塞を防ぐためイタリア共同交戦海軍イタリア語版人間魚雷による攻撃を受けて大破し、その場で自沈処分となった。

1946年に浮揚され1951年ラ・スペツィアに曳航されて解体された。

参考図書[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]