アウプ

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紋章 地図
(郡の位置)
Wappen Aub.png Locator map WÜ in Germany.svg
基本情報
連邦州: バイエルン州
行政管区: ウンターフランケン行政管区
郡: ヴュルツブルク郡
緯度経度: 北緯49度33分
東経10度04分
標高: 海抜 310 m
面積: 17.54 km²
人口:

1,538人(2012年12月31日現在) [1]

人口密度: 88 人/km²
郵便番号: 97239
市外局番: 09335
ナンバープレート:
自治体コード: 09 6 79 114
市庁舎の住所: Marktplatz 1
97239 Aub
ウェブサイト: http://www.stadt-aub.de
市長: ローベルト・メルバー (Robert Melber)
郡内の位置
Aub in WÜ.svg

アウプ (Aub) はドイツ連邦共和国バイエルン州ウンターフランケン地方のヴュルツブルク郡に属す市で、アウプ行政共同体の本部所在地である。

地理[編集]

位置[編集]

この都市は、バーデン=ヴュルテンベルク州との州境近くのゴルラハ川沿いに位置している。

自治体の構成[編集]

本市は、公式には7つの地区 (Ort) からなる[2]。このうち小集落や孤立農場などを除く集落を以下に列記する。

  • アウプ
  • バルダースハイム
  • ブルガーロート

歴史[編集]

フランケン戦争でシュヴァーベン同盟ドイツ語版英語版軍に包囲されたアウプ

アウプの中世後期の歴史は、トルフゼス・フォン・ヴァルダースハイム家と密接に関係している。1523年、フランケン戦争でアウプはシュヴァーベン同盟ドイツ語版英語版の攻撃を受けた。ヴュルツブルク司教本部のアムトは世俗化により1803年バイエルン大公領となった。1805年トスカーナ大公フェルディナンド3世が創設したヴュルツブルク大公国領に編入されたが、その廃止に伴い1814年、最終的にバイエルン王国領となった。バイエルンの行政改革の時代、1818年の市町村令によって現在の市となった。

人口推移[編集]

  • 1970年 1,714人
  • 1987年 1,631人
  • 2000年 1,702人

行政[編集]

市長[編集]

アウプの市長はロベルト・メルバー (CSU/Bürgerliste) である。彼は2002年に市長に就任した。

姉妹都市[編集]

文化と見所[編集]

建造物[編集]

市壁と防衛施設の塔

アウプには多くの見所がある。カトリックの市教区教会マリア被昇天教会にはティルマン・リーメンシュナイダーのキリスト磔刑群像がある。また、フランケン病院博物館にはフランケン地方の医療に関する情報が保存されている。アウプは市壁に囲まれている。市壁の長さは1.4kmである。市の中心は中世風のマルクト広場である。この他に、保存状態の良いユダヤ人墓地もあり、オッペンハイマーやマンハイマーあるいはジッヒェルといった国際的に有名な一族の墓も見ることができる。

バルダースハイムの南には14世紀のライヒェルスブルクの古城趾がある。

ブルガーロートにはクニグンデ礼拝堂がある。伝承によれば、この礼拝堂の建設は、皇后クニグンデの死後、バンベルクに3枚の白いベールが飛来し、このベールが再び見つかった場所に聖母を讃える礼拝堂を造るよう命じた。このベールの1枚がこの地の若いボダイジュの枝に掛かっているのが見つけられ、現在もこの地に礼拝堂が建っているのである。

人物[編集]

出身者[編集]

  • ヨハネス・ベーム(1485年 - 1533年または1535年)人文主義

引用[編集]

参考文献[編集]

  • D. Geißendörfer & K. Hochgeschwender: Führer durch Aub mit kurzer Chronik. Aub 1931.
  • Konrad Hoos: Baldersheim im Ochsenfurter Gau. Ein Rückblick über seine Geschichte. Ochsenfurt: Buch- und Offsetdruckerei Weltz, 1972.
  • Georg Menth: Stadt Aub: Baldersheim, Burgerroth. Wolfratshausen: Aubanusverlag, 1988. ISBN 3-924178-05-4.
  • Anton Ott: Die katholische Kirche in Aub (Unterfranken: Tilman Riemenschneider). München: Verlag Schnell & Steiner, 1940.

これらの文献は、翻訳元であるドイツ語版の参考文献として挙げられていたものであり、日本語版作成に際し直接参照してはおりません。

外部リンク[編集]