アイズルワース

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座標: 北緯51度28分00秒 西経0度20分11秒 / 北緯51.4666度 西経0.3363度 / 51.4666; -0.3363

アイズルワース
英語: Isleworth
アイズルワースの位置
アイズルワース

 グレーター・ロンドンにおけるアイズルワースの位置
人口 20,500人 
英式座標 TQ155755
リージョン ロンドン
構成国 イングランドの旗 イングランド
イギリスの旗 イギリス
郵便地域 ISLEWORTH
郵便番号 TW7
市外局番 020
警察 メトロポリタン
消防 ロンドン
救急医療 ロンドン
欧州議会 ロンドン
イギリス議会 Brentford and Isleworth
都市一覧: イギリス • イングランド • ロンドン

アイズルワース (Isleworth, /ˈzəlwəθ/) は、ロンドン西部のハウンズロー・ロンドン特別区内にある町。アイルワースと読まれることもあるが誤った発音である[1]

ハウンズローの町の東隣、テムズ川の西側に位置する。古来からの居住地域はテムズ河畔であり、「オールド・アイズルワース」と呼ばれる。町の北西部は「スプリング・グローヴ」と呼ばれる。

歴史[編集]

発掘調査により古代ローマ時代の集落の跡が見つかっている。アングロ=サクソンの695年の文書に"Gislheresuuyrth"(Gīslhere氏の荘園)として登場する[2]ドゥームズデイ・ブックによれば、エドワード懺悔王の時代にはこの土地はアルガー伯の所領であったとされる[3]

1086年のドゥームズデイ・ブックでは"Gistelesworde"と記録されている[4]ノルマン・コンクエスト以降は、ノルマン系のセント・ヴァレリー男爵家がこの地を領したとされる。1227年、ヘンリー3世がセント・ヴァレリー家の所領を接収してコーンウォール伯リチャードに譲渡した。1415年ヘンリー5世はアイズルワース荘の領有権をコーンウォール伯からサイオン修道院に移した[5]。修道院は1431年にこの地に新しい建物を造ったが、これが現在のサイオン・ハウスと同じ場所である[6]

ヘンリー8世は1539年以降サイオン修道院の領地のほとんどを廃止し、領地はサマセット公エドワード・シーモアに与えられた。1548年にサイオン・ハウスを建てたのがシーモアである。

1594年エリザベス1世はサイオン荘を第9代ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーに貸与した。以後、この地はパーシー家(現ノーサンバーランド公爵家)が400年以上にわたり領有することになる。ストランドにあったノーサンバーランド公爵家邸宅が取り壊されてからは、この地が公爵家の邸宅となった。

18世紀、アイズルワースの大部分は果樹園とされたが、19世紀には青果栽培園となり、ロンドンの市場に商品を供給した。貴族や上流階級向けの大邸宅が立ち並んだ。20世紀前半は職人やホワイト・カラー階級が台頭し、青果栽培園は徐々に減っていった。工場、オフィスが増え、都市化が進んだ。そして1950年代以降、拡大するロンドンに飲み込まれていく。

脚注[編集]

  1. ^ How Do You Pronounce Theydon Bois?”. Londonist (2011年10月17日). 2013年12月14日閲覧。
  2. ^ Thames Landscape Strategy | The Arcadian River Thames between Hampton and Kew | tlsdocument
  3. ^ 'And So Make a City Here' by G E Bate F.R.Hist.S. p68 published: Thomasons Hounslow 1948
  4. ^ Mills, A. D. (1996). Dictionary of English Place-Names, p.188. Oxford University Press, Oxford. ISBN 0-19-283131-3.
  5. ^ Aungier, p.39; Rot. Parl. 9 Hen V, p.1,m.7
  6. ^ Aungier, G.J. History and Antiquities of Syon Monastery, London, 1840

外部リンク[編集]