アイザック・アシモフ

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アイザック・アシモフ
Isaac Asimov
アイザック・アシモフ
Rowena Morrill画
ペンネーム Dr. A, Paul French, George E. Dale
誕生 1920年1月2日
ソビエト連邦ペトロビッチ
死没 1992年4月6日(満72歳没)
アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市
職業 作家、短編小説家、エッセイスト、歴史家、生化学者、教科書作家、ユーモア作家
ジャンル サイエンス・フィクションハードSF)、ポピュラー・サイエンスミステリー随筆文芸評論
文学活動 サイエンスフィクションの黄金時代
主な受賞歴 ヒューゴー賞ネビュラ賞ローカス賞
処女作 「真空漂流」
ウィキポータル 文学
  

アイザック・アシモフ(Isaac Asimov, 1920年1月2日 - 1992年4月6日)はアメリカ作家生化学者。なお、生年月日については記録が不十分であり、暦の違いもあるため正確にこの日付かは不確実だが、誕生日がこの日より遅いことはない[2]

非常に成功した多作の作家であり、その著作は500冊以上を数える[3]。彼の扱うテーマは科学言語歴史聖書等々非常に多岐にわたるが、特にSF、一般向け科学解説書、推理小説によってよく知られている。

日本では「アシモフ」と「アジモフ」等の表記があり、前者での表記が一般的である。本人の望んでいた英語での発音は後者に比較的近いとされるが、日本語読みの「アジモフ」が英語原音と同一というわけではない[4]

ジュブナイル作品ではポール・フレンチという筆名を用いた[5]

目次

[編集] 来歴

ロバート・A・ハインライン(左)、L・スプレイグ・ディ=キャンプ(中央)と共にフィラデルフィア海軍造船所に勤務するアイザック・アシモフ(右)1944年
若き頃のアシモフ(1965年)

アシモフはロシアのペトロビッチにおいてユダヤ系ロシア人イサアーク・オジモフИсаак Озимов)として生まれ、3歳の時に家族とともにアメリカに移住し、ニューヨークブルックリンで育った。

家庭は裕福ではなかったが学業成績は優秀で、公立校や高校を飛び級で卒業して1935年に15歳でコロンビア大学へ入学した。1938年に初めての作品をSF雑誌『アスタウンディング』に持ち込み、採用はされなかったが編集者ジョン・W・キャンベルの指導を受けるようになった。1939年には別のSF雑誌『アメージング・ストーリー』に「真空漂流」が掲載され作家としてデビューした[6]

1939年にアシモフはコロンビア大学を卒業し、同大大学院で化学を専攻した。この頃すでに『われはロボット』所収のロボット工学三原則物やファウンデーションシリーズの諸作品、出世作『夜来たる』などの代表作を世に出している。大学院在学中に第二次世界大戦の勃発によって1942年から休学し、フィラデルフィアの海軍工廠に勤務した。1942年にはガートルードという女性と結婚している。終戦直後に徴兵され、化学の学位を持っていることを理由にビキニ環礁での核実験に技術兵として加わえられ、ハワイまで行ったが結局参加せずに9ヶ月で除隊した[7]

1946年に大学院に復学し、1948年には博士号を取得した。コロンビア大学で1年間ポスドクを勤めた後に1949年からボストン大学医学部生化学の講師となった。大学では講義と研究の他に共同で教科書の執筆を行い、一般向けのノンフィクションを書くきっかけとなった[8]。SFの執筆は継続していたが、パルプ・マガジンであるSF雑誌の掲載料は高くなかった。しかし1950年にダブルデイ社から初めての単行本『宇宙の小石』が出版され、さらに『われはロボット』やファウンデーションシリーズなど過去に雑誌で発表した作品が書籍化され、印税の形式で収入を得られるようになった。1954年にはSFミステリの傑作『鋼鉄都市』によりSF界の巨匠の地位を不動の物とする。また化学のノンフィクションの作品を出版するようになった[9]

1951年には助教授、1955年に准教授となり終身の在職権を得たが、学外での執筆活動について上司や一部の教授たちから不興を買い度々トラブルが発生していた。既に著作から十分な収入を得ていた事もあり、1958年に肩書きのみを保持することで合意し、教壇を降りた。その後は専業の作家・講演者となり、化学以外のノンフィクションの分野へも活動を広げていった[10]。1979年7月になってボストン大学は彼を昇格させ、生化学教授となった。[11]

アシモフは次第に科学の解説者として知られるようになり、科学を概観した『知識人のための科学入門』が1961年の全米図書賞ノンフィクション部門にノミネートされ、1964年にはアメリカ化学会の著述に対する表彰、ジェイムズ・T・グラディー賞を受賞した[12]。1962年にメンサの会員になったが数年後に退会した[13]。1972年に再び会員になり、1974年にはメンサの講演のためにイギリスへ旅行している[14]

1951年に息子、1955年に娘が生まれていたが1970年から別居し、ボストンから再びニューヨークへ移り住んだ。1973年にガートルード夫人と正式に離婚し、同年に心理分析医のジャネット・ジェプスン(後にSF作家)と再婚した。アシモフとジャネットはNorbyシリーズなどの共著を残している。

1970年にはエラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジンにて純粋なミステリの黒後家蜘蛛の会シリーズの連載を開始した。SFでは1972年に久々の長編である『神々自身』を出版し、ヒューゴー賞 長編小説部門[15]ネビュラ賞 長篇小説部門[16]を受賞した[17]。1982年には、ファンや編集者の要望に抗しきれず執筆したファウンデーションシリーズの30年ぶりの新作『ファウンデーションの彼方へ』がベストセラーとなり、以後再び精力的にSF長編を執筆、同シリーズとロボットシリーズの統合を成し遂げている。

アシモフは1992年4月6日に没した。死因は後天性免疫不全症候群(エイズ)によるもので、1983年に受けた心臓バイパス手術の際に使用された輸血血液がHIVウイルスに汚染されていた事が原因である。アシモフの死因は、彼の死から10年の後に出版されたジャネット夫人の自伝 It's Been a Good Life(我が良き生涯)で明らかにされた[18]。アシモフは生涯で500冊以上の著書を執筆した[3]

[編集] 人物

アシモフは自伝の中で英語イディッシュ語の2ヶ国語が使えると述べている[19]が、イディッシュ語による作品は残していない。すべての著作は英語で行われた。

作家としての地位を確立し、著作からの収入で裕福になってからも「仕事中毒」であり、贅沢をしたり余暇を楽しむことは少なかった。アシモフ自身は、父の自営する店で幼い頃から働いた影響であると自己分析している[20]飛行機嫌い[21]で、その生涯で飛行機を利用したのはただ2度のみである[22]。そのため遠くへ行くことは少なかったが、東海岸の各地で講演を行った。自宅近辺で開催される世界SF大会にはよく参加し、他の作家やファンと陽気に交流を楽しんだ[23]。普段[24]と同様に女性に対して飛びついたりしたが、相手がマジメに相手をしかえすと驚いて引き下がる、などのエピソードも残っている。また、ハーラン・エリスンなどとは過激なやりとりを楽しんだ[25]

アシモフは人道主義者で、American Humanist Associationの会長を務めた[26]。かつ合理主義者だった。純粋な信仰心に反対することはなかったが、超常現象や根拠のない思想に対しては断固とした態度を貫いた。また狭くて閉ざされた空間をこよなく愛する閉所愛好家(閉所恐怖症の反対)でもあり、地下室や屋根裏部屋でタイプライターに向かう時間が無上の喜びだったと自ら語っている。

ほとんどの政治的問題においては進歩的な態度をとっており、若い頃から一貫して民主党の強い支持者だった[27]1970年代初期のテレビのインタビューでは公然とジョージ・マクガヴァンを支持した[28]

アメリカのSF界を2つに割ったベトナム戦争への賛成・反対問題については反対派に回り、他の反対派メンバーとの共同反戦広告の新聞への発表を主導した。1965年に、ソ連のSF評論家たちが「ブルジョワ社会の問題点を描いていない」アメリカSFについて、アシモフやポール・アンダースンを名指しして批判した際、アンダースンは敢然と共産主義国家の偽善を批判して反論したが、アシモフははっきりした政治的発言をしなかった。

1960年代末葉以前、多くの進歩的な政治活動が不合理な政策の原因となったことは、彼にとっては不幸なことだった。さらにスリーマイル島事故以降も一般社会への原子力の応用に肯定的だったことは、彼と左派の人々との関係に少なからず影響を与えた。このほか、ポール・エルリッヒ(Paul R. Ehrlich)によって発表された将来の見通しを受けて、多くの著作で人口管理の重要性を訴えた[29]。晩年アシモフは、中産階級の人々が郊外に移動したことによるニューヨークの税収減少のため、生活の質が悪化したことを嘆いている。彼の最後のノンフィクションの著作は Our Angry Earth(怒れる地球、1991年、SF作家フレデリック・ポールとの共著)であり、この中で彼は地球温暖化オゾン層の破壊といった環境危機について論じている。

彼はSF界はもちろん、ロボット工学など現実の科学界や産業にも多大な影響と貢献を残した。彼の栄誉をたたえ、(5020)Asimov と名づけられた小惑星が存在する。東京大学2003年に開発された、起き上がり動作に特化したロボットが、彼の小説に登場するロボットR・ダニール・オリヴォーに因んで「ダニール」と名付けられている。本田技研工業の人型ロボットASIMOはつづりが同じだが、あくまで無関係とされている[30]

[編集] SF

アシモフは、アーサー・C・クラークロバート・A・ハインラインと合わせて三大SF作家と言われることも多い[31]。SFの著名な賞であるヒューゴー賞を7回、ネビュラ賞を2回、ローカス賞を4回受賞している。

[編集] 初期

10代の頃からSFファンであり、『アスタウンディング』誌の読者欄に書評を投稿したりSFのファンダムに参加していた[32]1938年に初めての商業作品をアスタウンディング誌へ持ち込んで以来、編集者のジョン・W・キャンベルの指導の下で実力をつけて行き、いわゆる「アメリカSFの黄金時代」の立役者の一人となった。アシモフはキャンベルと個人的にも親しくなり、その影響を強く受けた[33]

キャンベルの発案で書かれ出世作となった短編「夜来たる」(Nightfall1941年)は Bewildering Stories 第8号で「もっとも有名なSF短編」の一つとして挙げられている[34]。また、1968年アメリカSF作家協会(現アメリカSFファンタジー作家協会)による投票でも「これまでに書かれた最高のSF短編」に選ばれている[35]。彼の短編集『夜来たる』(Nightfall and Other Stories)の中で次のように述べている。

「『夜来たる』は、わたしのプロ作家としての経歴の中で、一つの転換点となった作品である(中略)突然、私は重要な作家と見なされ、SF界が私の存在に注目するようになった。何年か後には、わたしはいわゆる"古典"を書いたことがはっきりした」[36]

短編小説以外にもSF雑誌に「チオチモリンの驚くべき特性 Thiotimoline|The Endochronic Properties of Resublimated Thiotimoline 」(1948年)という科学論文のパロディーを書いた。ペンネームが用いられるはずが博士号の口述試験の直前に実名で掲載されたためにアシモフは不合格とされる事を心配したが、試験に合格した[37]

他にも後述のファウンデーションシリーズやロボットシリーズの初期作品にもキャンベルは深く関わっており、良くも悪くも多大な影響を及ぼす事となった。

その後就職のためニューヨークを離れボストンに転居した事、キャンベルがダイアネティックスなどの疑似科学に傾倒していった事から二人は疎遠となり、折しもアスタウンディング誌に代わって台頭してきた『ギャラクシー』誌のホーレス・ゴールド、『ファンタジー&サイエンス・フィクション(F&SF)』誌のアンソニー・バウチャー両編集長との関係を深めた。前者は代表長編『鋼鉄都市』、後者はF&SF誌の科学エッセイシリーズに関わる事となった。

[編集] ファウンデーション

アシモフの代表的SFシリーズであるファウンデーションシリーズは、エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』をヒントにした、未来の宇宙における巨大な銀河帝国の崩壊と再生の物語である[38]

1942年に第一作『ファウンデーション Foundation 』がアスタウンディング誌に掲載、以後1949年までに中短編の形で同誌で発表され、後に(『ファウンデーションFoundation1951年)、『ファウンデーション対帝国Foundation and Empire 1952年、『第二ファウンデーションSecond Foundation 1953年)の3冊に纏められた[39]。現在は「初期3部作」と呼ばれるこの3冊は1966年ヒューゴー賞過去最優秀長編シリーズ賞を受賞した[40]

1982年、30年の時を経ても鎮まらないファンや編集者の続編を求める声に遂に抗えなくなったアシモフは、遂に新作『ファウンデーションの彼方へ Foundation's Edge 』を発表、ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーリストに名を連ねると共に、1983年のヒューゴー賞長編小説部門を受賞した[41]。以後その続編『ファウンデーションと地球 Foundation And Earth 』(1986年)、時代を遡りハリ・セルダンの半生を描いた『ファウンデーションへの序曲 Prelude to Foundation 』(1988年)、『ファウンデーションの誕生 Forward the Foundation 』(1992年)が書かれ、後述のロボットシリーズとの世界観の融合もなされた。

アシモフの死後、著名なSF作家の3人(グレゴリー・ベンフォードデイヴィッド・ブリングレッグ・ベア)が続編として『新・銀河帝国興亡史』3部作を発表した。

[編集] ロボット

ロボットものもファウンデーション3部作と同じ頃に書き始められた。その多くは後に短編集『われはロボット I, Robot 』(1950年)、『ロボットの時代』として出版された。この作品群により、ロボット・人工知能の倫理規則(いわゆるロボット工学3原則)が世に広められた。この規則は、他の作家や思想家がこの種の話題を扱うに際して大きな影響を与えている。『バイセンテニアル・マン The Bicentennial Man 』(1976年)は1977年のヒューゴー賞 中編小説部門[42]と1976年のネビュラ賞 中篇小説部門[43]ローカス賞 長篇部門[44]を受賞し、1999年に『アンドリューNDR114』というタイトルでロビン・ウィリアムス主演の映画になった。この一群の作品は、ロボットがどんどん進化して行き、人間と変わらないような存在になっていく流れを描いているが、日本の翻訳家・評論家の伊藤典夫は、「これはアシモフの自伝的な作品群だ。頭がよすぎてまるでロボットのようなアシモフが、少しずつ人間の感情を理解していく様を描いている」と評した。

一連の作品は、ロボットが一見して三原則に反するような行動を取り、その謎を解決するというミステリ仕立ての作品が多く、中でも長編『鋼鉄都市』と続編『はだかの太陽』は、3原則の盲点を利用した巧妙な殺人トリックを描いたSFミステリの傑作としても知られている。[45]

ファウンデーションとロボットの2つの潮流は、『ロボットと帝国』(1985年)によってひとつの未来史としてまとめられた。

[編集] 専業作家以降

1958年にボストン大を辞して専業作家となったアシモフだが、増加した執筆時間は専らノンフィクションの分野に向けられる事となり、SFの執筆量は却って激減した。それでも(何とか彼にSFを書かせようという編集者の努力もあって)短編を中心に年に数作は書いており、ファンの「何故SFを書くのを止めたのか」との問いにも「決して止めてはいない」と繰り返し答えている。

アシモフはテレビ番組化されることを期待して、『天狼星の侵略』(1952年)などジュヴナイルの長編小説「ラッキー・スター」シリーズを執筆、この際に低品質なテレビ番組になる場合を懸念してポール・フレンチという筆名を用いた[46]。結局TV化は実現せず、後期の作品ではロボット工学三原則を出すなどして自ら正体を示唆し、再版時には実名に戻している。 アシモフは、「編集をせずとも、自動的に収録される作品が決まる」アンソロジーである『ヒューゴー賞傑作集』の形式上の「編者」として、収録各作品の前にユーモラスなエッセイを書いた。これは、アシモフがその時点でヒューゴー賞を受賞していなかったために「編者」に選ばれたのだが、1963年にSF雑誌F&SFの科学のコラムによる功績で初めてヒューゴー賞を受賞[47]した後もひきつづいて「編者」を務めた[48]

さらに異星人セックスの要素を含む『神々自身』(1972年)でヒューゴー賞 長編小説部門[15]ネビュラ賞 長篇小説部門[16]を受賞した。1992年の「ゴールド-黄金」でもヒューゴー賞 中編小説部門を受賞した[49]

1977年には彼の名前を冠したSF雑誌「アイザック・アシモフズ・サイエンス・フィクション・マガジン Isaac Asimov's Science Fiction Magazine 」が創刊された(現在の誌名は「アシモフズ・サイエンス・フィクション Asimov's Science Fiction 」)。アシモフ自身は編集には関わっていなかったが、巻頭のエッセイと読書投稿欄のコメントを担当していた[50]

マーチン・グリーンバーグらと共同編集のアンソロジーも多数発表しているが、アシモフは編集作業にはほとんどタッチしておらず、名義を貸しただけと推測される。ただし、必ずユーモラスな前書きを書いて、それらのアンソロジーに花を添えている。

[編集] 推理小説

アシモフはしばしばSFにミステリの手法を用いる一方で、純粋なミステリ作品も執筆しており、重要な推理小説作家の一人でもある。

純粋なミステリの代表作は『黒後家蜘蛛の会』シリーズである。『黒後家蜘蛛の会』は、ほぼ純粋なパズル・ストーリーであり、殺人事件さえめったに起こらない。題材は盗まれた物や遺産を得るための暗号の解読、忘れてしまった地名の推測など、より日常的な問題である。解決にはヘンリーの(つまりアシモフの)該博な知識が使われる。

『黒後家蜘蛛の会』はすべて短編であり、1972年2月号の『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』に第1作「会心の笑い」が発表されてから断続的に合計66作が書かれた。60作は5冊の短編集として出版され(邦訳有り)、残りの6作はアシモフの死後、The Return of the Black Widowers(2003年)にまとめられた。

アシモフは『ユニオン・クラブ奇談』というシリーズも書いている。これはクラブで語られるパズル・ストーリー。『黒後家』と違うのは、『黒後家』の名探偵役ヘンリーが人格円満で謙虚な人物であるのに対して、『ユニオン・クラブ』の名探偵役グリズウォルドが傲岸で偽悪的な人物という点である。しかし全体的な構成やトリックは似ている。アイディアを使うという点で2作は競合関係にあって、『ユニオン・クラブ』執筆中は『黒後家』の執筆は進まなかった。

『黒後家蜘蛛の会』『ユニオン・クラブ奇談』シリーズには長編作品はないが、アシモフは長編ミステリーの『ABAの殺人』『象牙の塔の殺人』を書いている。

[編集] ノンフィクション

SF作家、推理小説作家として知られるアシモフは、ユーモラスな科学エッセイも多数書いている。なかでもファンタジー&サイエンス・フィクション誌に連載されていた科学エッセイは400編以上を数え、テーマも物理・天文・化学・生物学・科学史など多岐にわたっている。幅広い分野での初心者向け解説書の著作も多く、その博学ぶりは彼の様々な作品に生かされている。「人間は無用な知識の数が増えることで快感を得る事が出来る唯一の動物である」という言葉が、日本のテレビ番組「トリビアの泉」の冒頭でアシモフの言葉として紹介されたが、具体的な出典は示されていない。

1954年に出版した10代向けの生化学の本『生命の化合物』以来、アシモフは大衆向けの科学の本も執筆していた。1957年ソ連がアメリカに先駆けて初の人工衛星スプートニク1号」を打ち上げると、いわゆるスプートニク・ショックによってアメリカ国内で科学に対する関心が高まり、一般向けの科学解説書のニーズが急増した。アシモフはこれに応える形で多数の科学解説書を執筆し、ノンフィクションに執筆活動の中心を移して行く契機となった[51]

科学全般について大衆向けに書かれた『知識人のための科学入門』(1961年)はニューズウィーク等の書評から好評を受け、全米図書賞ノンフィクション部門にノミネートされた。アシモフはこの本によって科学の解説者としての地位を向上させた[52]

1969年アポロ11号が月に到達した時、アシモフは、既になくなっていた「ロケット工学の父」ロバート・ゴダードに向かって、「ゴダードよ、我々は月にいる」という言葉を向けた。この言葉は、独立戦争でアメリカ合衆国の側に立って戦ったラファイエット侯爵の永眠するフランスの地で、第1次世界大戦時に米軍将校が発したとされる「ラファイエットよ、我々はここにいる!」という言葉を踏まえたものであろう[53]

アシモフは2冊に及ぶ Asimov's Guide to the Bible(アシモフの聖書入門)を著した。第1巻(1967年)は旧約聖書を、第2巻(1969年)は新約聖書をそれぞれ扱っている。後にこの本は1300ページに及ぶ1冊の本にもまとめられた。地図と図表をふんだんに用いたこの本では、おのおのの歴史やそれに関係する政治的影響、また重要な歴史上の人物についての説明を行いながら、聖書という本を体験できるようになっている。

聖書以外にも歴史の解説やシェイクスピアなどの文学の解説、趣味である滑稽五行詩(リメリック)についての著作もあり、科学とは関係ない分野でも多数の作品を残した。

彼はまた、3冊の自伝も書いている -『アシモフ自伝I』(In Memory Yet Green1979年)、『アシモフ自伝II』( In Joy Still Felt1980年)、I, Asimov: A Memoir(1994)。この自伝は非常に大分量のもので、アシモフの生涯のできごとや作品と、それによる収支まで詳細に書かれたものである。この自伝について、イギリスの作家マーティン・エイミスにインタビューされた時にアシモフは、「この自伝は『私という存在であることが、どういうことであるか』を、よくわかってもらえるように、正直に露悪的に書いた。私は、あまりに頭がよすぎるので、普通の人のように振舞うのは、非常に努力が必要なのだ」と答えた。

3番目の自伝、I. Asimov: A Memoir1994年4月に出版された。この本のエピローグは彼の死のあとまもなく、彼の後妻であるジャネット・アシモフによって書かれたものであり、1995年のヒューゴー賞ノンフィクション部門を受賞した[54]。他にも『木星買います』『アシモフ初期作品集』などのSF短編集でも、収録作品の前書きに代えて執筆当時の自身の状況を詳細に記している。

他にも彼の日ごろからの社会的主張もいくつかのエッセイにまとめられている-『考えることを考える Thinking About Thinking 』『Science: Knock Plastic (科学 : プラスチックをたたく)』(1967年)など。

また彼は、自身の著作が100冊、200冊、300冊にそれぞれ到達した際に、それまでの著書の内容からセレクトした本、Opus 100 (1969), Opus 200 (1979), Opus 300 (1984) を刊行しており、Opus 200は『アシモフ博士の世界』として翻訳されている[55]

[編集] 代表的著作

[編集] SF

[編集] 長編

[編集] 短編集

[編集] ロバート・シルヴァーバーグによる長編化作品

[編集] ジュヴナイル

[編集] ポール・フレンチ名義
  • 1952年 - David Starr, Space Ranger(邦題:『天狼星(シリウス)の侵略』)
  • 1953年 - Lucky Starr and the Pirates of Asteroids(邦題:『小惑星(アステロイド)の海賊』)
  • 1954年 - Lucky Starr and the Oceans of Venus
  • 1956年 - Lucky Starr and the Big Sun of Mercury(邦題:『水星基地のなぞ』)
  • 1957年 - Lucky Starr and the the Moons of Jupiter(邦題:邦訳は複数あり、『木星のラッキースター』と『九号衛星のなぞ』の2種である)
  • 1958年 - Lucky Starr and the Rings of Saturn(邦題:『太陽系の侵入者』)

[編集] ジャネット・アシモフとの共著
  • 1983年 - Norby, the Mixed-up Robot
  • 1984年 - Norby's Other Secret
  • 1985年 - Norby and the Lost Princess
  • 1985年 - Norby and the Invaders
  • 1986年 - Norby and the Queen's Necklace
  • 1987年 - Norby Finds a Villain
  • 1988年 - Norby Down to Earth
  • 1989年 - Norby and Yobo's Great Adventure
  • 1990年 - Norby and the Oldest Dragon
  • 1991年 - Norby and the Court Jester

[編集] 推理小説

[編集] 長編

  • 1958年 - The Death Dealers(後に A Whiff of Death に改題、邦題:『象牙の塔の殺人』)
  • 1976年 - Murder at the ABA(邦題:『ABAの殺人』)

[編集] 短編集

  • 1974年 - Tales of the Black Widowers(邦題:『黒後家蜘蛛の会1』)
  • 1976年 - More Tales of the Black Widowers(邦題:『黒後家蜘蛛の会2』)
  • 1980年 - Casebook of the Black Widowers(邦題:『黒後家蜘蛛の会3』)
  • 1983年 - The Union Club Mysteries(邦題:『ユニオン・クラブ綺談』)
  • 1984年 - Banquets of the Black Widowers(邦題:『黒後家蜘蛛の会4』)
  • 1986年 - The Best Mysteries of Isaac Asimov
  • 1990年 - Puzzles of the Black Widowers(邦題:『黒後家蜘蛛の会5』)
  • 2003年 - The Return of Black Widowers

[編集] ノンフィクション

  • 1954年 - The Chemicals of Life(邦題:『生命の化合物』)
  • 1956年 - Inside the Atom(邦題:『原子の内幕 - 百万人の核物理学入門』)
  • 1957年 - Only a Trillion(邦題:『たった一兆』)
  • 1958年 - The World of Nitrogen(邦題:『窒素の世界』)
  • 1962年 - Life and Energy
  • 1963年 - View from a Height(邦題:『空想自然科学入門』)
  • 1963年 - From Earth to Heaven(邦題:『地球から宇宙へ』)
  • 1964年 - The Human Brain(邦題:『脳 - 生命の神秘をさぐる』)
  • 1964年 - Adding a Dimension(邦題:『次元がいっぱい』)
  • 1964年 - Asimov's Biographical Encyclopedia of Science and Technology, Doubleday (1982年改訂、邦題:『科学技術人名事典』 皆川 義雄(訳) 共立出版、1971年)
  • 1965年 - Of Time and Space and other things(邦題:『時間と宇宙について』)
  • 1965年 - A Short History of Chemistry(邦題:『化学の歴史』)
  • 1966年 - The Neutrino(邦題:『ニュートリノ』)
  • 1967年 - Is Anyone There?(邦題:『生命と非生命のあいだ』)
  • 1968年 - Science, Numbers and I
  • 1969年 - Opus 100
  • 1969年 - Twenty Century Discovery(邦題:『発見、また発見!』)
  • 1971年 - The Stars in their Courses(邦題:『わが惑星、そは汝のもの』)
  • 1974年 - Of Matters Great and Small(邦題:『アジモフ博士の極大の世界・極小の世界』)
  • 1974年 - Our World in Space
  • 1976年 - The Planet that Wasn't(邦題:『存在しなかった惑星』)
  • 1978年 - Quasar, Quasar, Burning Bright(邦題:『輝けクエーサー』)
  • 1979年 - Isaac Asimov's Book of Facts(邦題:『アシモフの雑学コレクション』、翻訳・編集:星新一
  • 1979年 - The Road to Infinity(邦題:『アジモフ博士の地球・惑星・宇宙』)
  • 1979年 - Opus 200 (邦題:『アシモフ博士の世界』)
  • 1981年 - Change!(邦題:『変わる!』)
  • 1981年 - Views of the Universe
  • 1982年 - The Sun Shine Bright(邦題:『アジモフ博士の輝け太陽』)
  • 1983年 - Counting the Eons(邦題:『アジモフ博士の地球の誕生』)
  • 1984年 - X Stands for Unknown(邦題:『未知のX』)
  • 1984年 - Opus 300
  • 1985年 - Asimov's Guide To Halley's Comet(邦題:『アジモフ博士のハレー彗星ガイド』)
  • 1985年 - The Subatomic Monster(邦題:『素粒子のモンスター』)
  • 1986年 - The Dangers of Intelligence and other science essays(邦題:『真空の海に帆をあげて』)
  • 1987年 - Far as Human Eye Could See(邦題:『見果てぬ時空』)
  • 1988年 - The relativity of Wrong(邦題:『誤りの相対性』)
  • 1989年 - Asimov's Chronology of Science and Discovery, Harper & Row (邦題:『アイザック・アシモフの科学と発見の年表』 小山慶太・輪湖 博(訳) 丸善、1992年)
  • 1990年 - Out of the Everywhere(邦題:『人間への長い道のり』)
  • 1991年 - The Secret of the Universe(邦題:『宇宙の秘密』)
  • 1991年 - Asimov's Chronology of the World, HarperCollins (邦題:『アイザック・アシモフの世界の年表』 川成 洋(訳) 丸善、1992年)
  • 1995年 - 『アシモフの科学者伝』〈地球人ライブラリー〉 川成 洋(訳) 小学館

[編集] 脚注

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  1. ^ 『アシモフ自伝I』上巻263-264頁
  2. ^ 『アシモフ自伝I』上巻51頁
  3. ^ a b Notes from Curator: Isaac Asimov
  4. ^ Asimov の発音については自伝に has-him-of のエピソードが掲載されている。『アシモフ自伝I』上巻31頁 には、has, him, of の3つの簡単な英単語から2つの h を抜くと Asimov の発音になるという記述がある。さらに同書30頁には Asimov の s は発音としては z である旨の記述もある。これらより、本人が考えている発音をカタカナで表記するとアジモヴの方がより近いと考えられる。しかし日本語において著者名としてアジモヴあるいはアジモブという表記を行っている書籍は国立国会図書館にはないため、アジモフあるいはアシモフという表記がより一般的と言えるだろう。アシモフ自身が日本語仮名表記で「アジモフ」の表記を要求した事実はなく、日本ではアシモフの著作が紹介された当初から「アシモフ」の表記が定着している
  5. ^ 『アシモフ自伝I』下巻340頁
  6. ^ 『アシモフ自伝I』上巻271-282頁
  7. ^ 『アシモフ自伝I』下巻105-159頁
  8. ^ 『アシモフ自伝I』下巻260-262頁
  9. ^ 『アシモフ自伝I』下巻252-260頁、282-283頁、323頁
  10. ^ 『アシモフ自伝II』上巻58-63頁、139-143頁、153-155頁、170-171頁
  11. ^ "Yours, Isaac Asimov: A Lifetime of Letters",(p.301)
  12. ^ 『アシモフ自伝II』上巻285-286頁、420頁
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  21. ^ Is it true that Asimov had a fear of flying?
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  28. ^ 『アシモフ自伝II』下巻118-119頁
  29. ^ 『アシモフ自伝II』下巻142頁、308-309頁
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    These Bots Were Made for Walking Tony McNicol
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    The Death of Science Fiction SF作家ロバート・J・ソウヤーのコラム
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  53. ^ http://www.bartleby.com/59/12/lafayettewea.html
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  55. ^ 日本の映画史家の四方田犬彦はアシモフのこの例にならい、自身の100冊目の著書として自選集『濃縮四方田』を刊行した。

[編集] 参考文献

  • アイザック・アシモフ 『アシモフ自伝I』 山高昭訳、早川書房、1983年。
  • アイザック・アシモフ 『アシモフ自伝II』 山高昭訳、早川書房、1985年。ISBN 4-15-203285-5

[編集] 外部リンク

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