ゆきゆきて、神軍

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ゆきゆきて、神軍
監督 原一男
製作 小林佐智子
出演者 奥崎謙三
奥崎シズミ
撮影 原一男
編集 鍋島惇
公開 日本の旗 1987年8月1日
上映時間 122分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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ゆきゆきて、神軍』(ゆきゆきて、しんぐん)は、1987年公開の日本映画奥崎謙三の姿を描いたドキュメンタリーである。日本国内外で多くの賞を受賞した。今村昌平企画、原一男監督。

キャッチコピーは「知らぬ存ぜぬは許しません

作品解説[編集]

撮影は1982年初頭から1983年春にかけて行われた[1]

奥崎謙三は、かつて自らが所属した独立工兵隊第36連隊のウェワク残留隊で、隊長による部下射殺事件があったことを知り、殺害された二人の兵士の親族とともに、処刑に関与したとされる元隊員たちを訪ねて真相を追い求める。元隊員たちは容易に口を開かないが、奥崎は時に暴力をふるいながら証言を引き出し、ある元上官が処刑命令を下したと結論づける。

奥崎は元上官宅に改造拳銃を持って押しかけるが、たまたま応対に出た元上官の息子に向け発砲し、殺人未遂罪などで逮捕され、懲役12年の実刑判決を受けた。

発砲事件以前の1983年3月、西ニューギニアで2週間ロケが行われ、クライマックスとして、奥崎が俘虜となった集落を訪れるシーンなどが撮影されたが、帰国当日にインドネシア情報省にフィルムを没収されたため、この「ニューギニア篇」は陽の目を見なかった[2]

備考[編集]

1987年8月から東京渋谷のユーロスペースで公開される。岩波ホールなども上映を検討したものの断念した結果であったが、3ヶ月は連日立見、結局ユーロスペース単館で5400万円ほどの興行収入をあげる大ヒットとなった[3]

1987年9月4日広島高等裁判所における奥崎の第二回公判で、本作のビデオテープが弁護側の証拠として採用され、法廷内で上映された[4]。このとき初めて作品を鑑賞した奥崎は、原監督に「全く面白くありません」と感想を手紙で述べたという[5]

映画公開中の同年9月18日は奥崎の妻・シズミの一周忌に当たり、ユーロスペースの観客および関係者に、拘留中の奥崎から贈られた[6]虎屋の特製「神軍饅頭」(神と軍の焼印を押した2個入り)か配布された[7][3]

アメリカのマイケル・ムーア監督が「生涯観た映画の中でも最高のドキュメンタリーだ」と語っている。

出演者[編集]

  • 奥崎謙三
  • 奥崎シズミ(奥崎の妻)

スタッフ[編集]

  • 企画:今村昌平
  • 製作:小林佐智子
  • 撮影:原一男
  • 録音:栗林豊彦
  • 編集・構成:鍋島惇
  • 演出助手:安岡卓治、大宮浩一
  • 撮影助手:高村俊昭、平沢智
  • 演出協力:徳永靖子、三宅雄之進
  • 選曲:山川繁
  • 効果:伊藤進一
  • ネガ編集:神谷編集室
  • タイトル:日映美術、8 - 8光映、にっかつスタジオセンター、IMAGICA
  • 製作協力:今村プロダクション、ほか
  • 監督:原一男

受賞[編集]

映像ソフト[編集]

関連書籍[編集]

  • 『ゆきゆきて、神軍 製作ノート + 採録シナリオ』 原一男、疾走プロダクション編著(話の特集・1987年)
  • 『群論 ゆきゆきて、神軍』 松田政男高橋武智編著(倒語社・1988年)

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 奥崎の逮捕後長く死蔵されていたが、1986年に改めて編集作業を行い完成した。
  2. ^ 『ゆきゆきて、神軍製作ノート』より。
  3. ^ a b 全国では最終的に興行収入1億円を超えると推定される。堀越謙三「インディペンデントの栄光・ユーロスペース 5」『ちくま』2014年12月号、26-29頁。
  4. ^ 『群論 ゆきゆきて、神軍』 p.331 - 339より。
  5. ^ 尾形誠規編、「ゆきゆきて、神軍」 『観ずに死ねるか! 傑作ドキュメンタリー88』 鉄人社、2013年4月6日、24-27頁。ISBN 978-4-904676-72-1 
  6. ^ 『群論・ゆきゆきて、神軍』カバー折り返しの解説文より。
  7. ^ 『非国民 奥崎謙三は訴える!!!』(新泉社・1988年) p.221

外部リンク[編集]