横山やすし・西川きよし

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 横山やすし・西川きよし
メンバー 横山やすし
西川きよし
別名 やすしきよし、やすきよ
結成年 1966年
解散年 1989年
事務所 吉本興業
活動時期 1966年-1989年(23年間)
師匠 秋田實横山ノック(やすし)
石井均白木みのる(きよし)
出身 道頓堀角座(やすし)
吉本新喜劇(きよし)
出会い 吉本興業
芸種 漫才
過去の代表番組 ヤングおー!おー!
やすきよの腕だめし運だめし
スター誕生!
やすきよ笑って日曜日 など
同期 立川談志(きよし)
公式サイト 横山やすし・西川きよし
受賞歴
1967年 上方漫才大賞 新人賞、
1970年 上方漫才大賞 大賞、
1980年 文化庁芸術祭 大衆芸能部門 芸術祭優秀賞、
1984年 上方お笑い大賞 大賞、
1996年 上方漫才大賞 審査員特別賞、
2005年 上方演芸の殿堂入り
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横山やすし・西川きよし(よこやまやすし・にしかわきよし)は、横山やすし西川きよしによる、かつて吉本興業に所属し活動していた漫才コンビ。

当たりギャグは「怒るでしかし!」(やすし)、「小さな事からコツコツと」(きよし)。

目次

[編集] メンバー

  • 横山やすし(主にボケ担当)
  • 西川きよし(主にツッコミ担当)

[編集] 概要

通称は「やすしきよし(やすし・きよし)」「やすきよ(やす・きよ)」など。またその漫才を特に「やすきよ漫才」と呼ぶこともある。

中山礼子・八多恵太のすすめで1966年6月1日にコンビ結成。コンビとしての初舞台は京都花月1960年代演芸ブームで世に出て人気者となる。その後1980年代に至るまでテレビ番組の司会などで活躍。1980年代初頭の漫才ブームでは東西のリーダー格として頂点に達していた。1986年きよしが国会議員(参議院)に当選したことや、やすしの度重なる不祥事がきっかけで活動機会が激減。やすしが吉本興業の専属契約を解除されたことでコンビは解散。1996年1月21日やすしの死で名実ともにコンビは消滅した。コンビとしての最後のテレビ出演は「MAGMA30」での二府四県対抗なんでもコンテストの司会だった。

その後、きよしと、吉本興業の後輩で、漫才師大平サブロー(元太平サブロー・シロー)扮する「やすし」とのコンビでエキシビジョン復活。その後も、演芸関連の特別番組などで、不定期に活動をしている。CGによって、やすしが再現(声はサブロー)され「あの世」から帰ってきたという設定で漫才をしたこともある。

「やすきよ」が漫才の歴史のなかでエポック・メイキングであったのは、その絶大な人気と、伝説化したやすしという芸人の存在もさることながら、従来のボケがシナリオを外しそれをツッコミが軌道修正してゆくという役割を逆転させ、やすしによって「一見つっこまれながらその実漫才をリードしてゆくボケ」という手法が確立されたところにある。この「リードするボケ」という観念は、漫才ブームの中でツービートB&B島田紳助・松本竜介などのフォロワーを生み、後のダウンタウンにも強い影響を与え(ただし、やすしはダウンタウンの漫才スタンスの違いからダウンタウンと度々対立し、ダウンタウンの松本人志もやすしの漫才に対するスタンスの違いに不満を述べていた時期もあった)、その後の漫才を活性化させた。最近では、銀シャリがやすし・きよしに近づきたいと思い、青いスーツで漫才を行っている。他にもあえて言うなら、漫才において、ボケ、ツッコミという役割(両方ともそれが出来る)がなく、漫才の台本によってやすしがボケ、きよしがツッコミ、きよしがボケ、やすしがツッコムというスタイルの先がけであるといえる。

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[編集] 映画

[編集] 外部リンク

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