みずほ銀行の合併処理
この記事ではみずほ銀行の合併処理について記す。
みずほ銀行は2002年(平成14年)4月1日、みずほフィナンシャルグループ傘下の3つの銀行(都市銀行であった第一勧業銀行・富士銀行、および長期信用銀行であった日本興業銀行)の合併・分割によりみずほコーポレート銀行とともに発足し、主に個人・中小企業向けの業務を担っている。
合併にあたっては、店舗や決済システムの統合、発行カードのほか、人事面等での対応がなされた。
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[編集] 人事
第一銀行と日本勧業銀行(勧銀)の合併によって、第一勧業銀行が誕生したが、旧両行のバランスを取るため、頭取は旧第一出身者(D派)と旧勧銀出身者(K派)を交互に選出する手法が取られた。これが第一勧銀のいわゆる「たすきがけ人事」であり、一般職人事についても第一人事部と第二人事部が存在する異常な状況があった。
第一勧銀最後の(会長兼)頭取杉田力之は旧勧銀出身であり、これに続くみずほ銀行初代頭取は旧第一出身者の工藤正に割り当てられた。さらにその後任となった2代目の現頭取杉山清次は旧勧銀出身者であり、みずほへの統合後もなお悪しき慣習が続いているという見方がされている[誰によって?]。
しかし、杉山は旧勧銀最後の入行組である。すなわち、次期頭取は、合併後の第一勧銀生え抜き行員の世代が就任することが確実[要出典]であり、この手法には終止符が打たれることとなった。
一方みずほグループ全体としては、FG社長に旧富士銀出身の前田晃伸が、コーポ銀頭取に旧興銀出身の齋藤宏が、みずほ銀頭取に上述の通り旧第一勧銀出身の工藤正→杉山清次が就いており、新たな形で住み分けがなされているとも言える[誰によって?]。 また、2009年(平成21年)4月1日付の人事でも、「新たな棲み分け」が踏襲されており、FG社長には合併後の旧DKB入行の塚本隆史、みずほ銀行頭取には旧富士銀出身の西堀利、コーポ頭取には旧興銀出身の佐藤康博がそれぞれ就任し、現在の社長・頭取はそれぞれ代表権のない会長となる(これにより、FGとみずほ銀行の両トップの出身行が逆になった形となった)。
なお、みずほ信託銀行は、安田信託銀行→みずほアセット信託銀行時代から旧富士銀出身の衛藤博啓→池田輝彦→野中隆史を起用している。さらに、クレディセゾンに吸収された旧ユーシーカードについても、2002年(平成14年)のみずほグループ再編以降、上杉純雄(旧富士銀出身、元みちのく銀行会長)、山城興英(旧DKB出身、現ユーシーカードの初代社長)らが就任した。
[編集] システム統合
2002年4月1日のみずほ銀行が誕生までに、コンピュータシステムが未統合のままで見切り発進する形となった[1]。
[編集] システム障害
2002年4月1日の合併当日からメインコンピューターの不具合が原因による大規模なシステム障害が発生した[2]。同月中旬まで[要出典]預金者に混乱を来すこととなった。
[編集] 脚注
- ^ みずほ銀、システム未統合のまま見切り発進へ - nikkei BPnet,2002年3月28日
- ^ みずほ銀行,初日朝からトラブル--ATMで預金,引き出しなどが不能に - ITpro, 2002/04/01