ほろにがショー 何でもやりまショー
| ほろにがショー 何でもやりまショー | |
|---|---|
| ジャンル | バラエティ |
| 放送国 | |
| 制作局 | 日本テレビ放送網 |
| プロデューサー | 松本尚彦 |
| 出演者 | 別項 |
| ほろにがショー 何でもやりまショー | |
| 放送時間 | 土曜日19:30~20:00(30分) |
| 放送期間 | 1953年8月29日~1959年4月25日 |
| 出演者 | 志村一郎、三國一朗 |
| なんでもやりまショー | |
| 放送時間 | 土曜日19:30~20:30(60分) |
| 放送期間 | 1969年10月4日~1970年9月26日 |
| 出演者 | 宍戸錠 高松しげお 金田正一 野呂圭介ほか |
ほろにがショー 何でもやりまショー(ほろにがショーなんでもやりまショー)とは、日本テレビで毎週土曜日午後7時30分から8時までに放送されていた、日本テレビで最初のバラエティ番組。
元々開局翌日の1953年8月29日に『ほろにがショー』として放送開始したが、わずか1週間後の1953年9月5日に同タイトルに変更。1959年4月25日まで放送されていた。
タイトルの”ほろにがショー”とは、朝日麦酒(現・アサヒビール)がスポンサーだったことに由来している。
後に1969年10月から1970年9月まで同じく「なんでもやりまショー」というタイトルでリメイク版が毎週土曜日午後7時30分から8時30分までに放送され、このリメイク版から後に「木曜スペシャル」の看板企画となる「どっきりカメラ」が誕生した。
目次 |
[編集] 概要
視聴者がゲームに挑戦、優勝者には賞金が渡される。放送開始2ヶ月で1年先まで出演予約があったほどで、かなりの人気番組だった。この「ゲーム合戦」は、後年の『底ぬけ脱線ゲーム』に受け継がれていく。
リメイク版では、前半がジプシー・ザンバなる超人があらゆる荒業に挑む「野外ビッグゲーム」、後半が「どっきりカメラ」で構成されていた。その後、子供が名人芸や珍芸を披露する「ちびっ子にまかせろ!」(幼少時代の九代目林家正蔵が「林家小三平」名義で出演していた事が有る)、プロ野球界を引退して間もない金田正一が様々な事に挑む「金やんのなんでもやったるでぇ!」が追加された。
[編集] 事件
1956年、「今度の早慶戦に、早稲田側の応援席で慶應の大旗を振って応援した人に5000円を進呈」(要約)というお題を出したところ、これに乗った視聴者の1人が実際に行動。11月3日、番組ではこの内容を放送し、授与式を行った。しかし放送終了後、批判や抗議が相次ぎ、東京六大学野球連盟からは日本テレビでの中継を拒否される事態に発展した。この事件を受け日本テレビは番組内で謝罪し、六大学野球連盟とは和解した。なお、それから半世紀後の2007年、日本テレビは民放における東京六大学野球実況中継の独占放映権を獲得している(詳細はこちらを参照)。
この模様を視聴していた社会評論家の大宅壮一がテレビ評論で「一億総白痴化」と書き批判した。この言葉は流行語にもなっている。
[編集] 出演者
[編集] 司会
- 志村一郎(初代司会者、1953年9~12月)
- 三國一朗(スタート当時は朝日麦酒社員、1954年1月~)
- 宍戸錠(リメイク版司会)
- 高松しげお(リメイク版司会。元漫才師晴乃チック・タックのタック)
- 金田正一(リメイク版レギュラー。元読売ジャイアンツ投手)
- 野呂圭介(リメイク版レギュラー)
[編集] スタッフ
- プロデューサー:松本尚彦
[編集] 映像について
- 『ほろにがショー』時代の映像はほとんど残っておらず、後年1983年8月28日に放送された『テレビから生まれた歌・30年!』や、2003年8月2日に放送された『ダウンタウンのバラエティ50年史』では、番組ロケ風景が映し出されている程度である。
[編集] 外部リンク
| 日テレ系 土曜19:30 - 20:00枠 | ||
|---|---|---|
| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
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(開局前)
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ほろにがショー
↓ ほろにがショー 何でもやりまショー |
ドレミファ広場
※アサヒビール一社提供かは不明 |
| 日本テレビ系 土曜19:30 - 20:30枠 | ||
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なんでもやりまショー
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