ねぶた

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青森ねぶた(2010年)
大湊ネブタ(2003年)

ねぶたねぷたは、東日本各地、とりわけ青森県内の各地で行われる夏祭りの一種。

全国的に有名なのは、青森ねぶた弘前ねぷたである。これらは、1980年重要無形民俗文化財に指定されている。以下、青森県のねぶたを中心に記載する。

目次

[編集] 概要

青森県では、8月初旬頃に行われ、大勢の市民が「ヤーレ、ヤーレ、ヤーレヤ」「ラッセ、ラッセ」「ラッセラー」「ヤーヤドー」等の掛け声とともに、武者等を模った人型や武者絵の描かれた扇型の山車燈籠を引いて街を練り歩く。昔は最終日の旧暦7月7日の朝に川や海へ行き、山車燈籠や身体を洗ったり、山車燈籠を流したりしていた。

青森市青森ねぶた弘前市弘前ねぷた五所川原市五所川原立佞武多などが有名で、次いで黒石市黒石ねぷた平川市平川ねぷたむつ市大湊ネブタなどがある。その他、津軽地方下北半島の各市町村でも行われている。さらに近年では、東京や鹿児島などでも行われるなど全国で地域の祭りとして広がりつつある。

[編集] 名称

「ねぶた」「ねぷた」の語源には諸説あるが、「眠(ねぶ)たし」、「合歓木(ねむのき、ねぶたのき、ねぶた)」「七夕(たなばた)」「荷札(にふだ)」などに由来する説がある。 現在では「眠たし」が最も有力な説とされている[1]

青森市や青森市周辺と下北が「ねぶた」なのに対し、弘前市を中心とした津軽地方では「ねぷた」と呼ばれる。

[編集] 起源

「ねぶた」の起源にも諸説あるが、禊祓に由来するという説が現在では有力である[2]。さらに、除災行事としての「眠り流し」や星祭りのひとつである「七夕」、仏教行事と習合した民俗行事「お盆」など、様々なものから影響を受けて現在のようになったと考えられている。

[編集] 「根蓋」説

歴史フィクション作家の八切止夫は以下のような説を提示している。

坂上田村麻呂らと戦った蝦夷の王、阿弖流為は今の大阪まで連行され斬首されたが、東北に残っていた妻子や残党は大きな穴に生きながらに埋められたとされている。 その上に土をかけ、降伏し奴隷となった者らに踏みつけさせた。これが今の東北三大奇祭のねぶた(根蓋)の起こりである。 つまり『根』(死)の国へ追いやるための土かぶせの『蓋』ということである。 踏んづける恰好をする踊りに坂上田村麻呂の山車を担ぎ踊る様は、その時のエピソードを表現している。とあるが、跳人は跳ねるのであって踏んづける恰好はしないし、田村麻呂がねぶたの題材としてとりあげられることは稀で、ねぶたの起源のひとつに田村麻呂の伝説があると一般に知らるようになってからたまに登場するようになっただけである。

そもそも跳人のいる地区は限られているので、この説では跳人のいる地域がねぶたの発祥の地になってしまう。 八切止夫がよく調べずに提唱してしまったこの説はフィクション作家の空想でしかない。

また、「飢饉や疫病の蔓延で大量に餓死し、病死した者を十分な弔いもせずにまとめて土葬した暗い時代があった。そんな被葬者たちの怨念の復活を恐れた人々は、根の国に蓋をする鎮魂の儀式として、「ラッセー」(「来世(らいせ)」)と唱えているもので、野辺の送りを原形として自然発生した村祭りであろう。」 とする言説もあるが、確証はない。

[編集] 各地のねぶた一覧

[編集] 青森県内


[編集] その他

[編集] 脚注

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  1. ^ 「年中行事事典」p606 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版
  2. ^ 「年中行事事典」p606 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版
  3. ^ 八幡東ねぶた振興会
  4. ^ ねぷた祭りin知覧(南九州市)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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