JAGATARA

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JAGATARA(じゃがたら)
基本情報
別名 江戸&じゃがたら
エド&じゃがたらお春
財団呆人じゃがたらお春
財団法人じゃがたら
暗黒大陸じゃがたら
出身地 日本の旗 日本
ジャンル ロック
ファンク
ワールドミュージック
アフロビート
パンク・ロックポストパンク(初期)
活動期間 1979年 - 1990年
レーベル アグリーオーファン
バルコニー
BMGビクター
公式サイト じゃがたら
メンバー
江戸アケミ(ヴォーカル)
EBBY(ギター)
OTO(ギター)
ナベ(ベース)
テイユウ(ドラムス)
篠田昌已(サックス)
ヤヒロトモヒロ(パーカッション)
村田陽一(トロンボーン)
エマーソン北村(キーボード)
南流石(コーラス)
政野早希子(コーラス)
旧メンバー
川辺徳行(ドラムス)
尾島秀紀(ギター)
SAMMY(ドラムス)
吉田哲治(トランペット)
ユカリ(コーラス&サックス)
長嶌BEM(サックス)
ホワチョ(パーカッション)
オナガミドリ(パーカッション)
奥村恵子(パーカッション)

フェラ・クティ
イアン・デューリー

JAGATARA(じゃがたら)は、江戸アケミを中心とする日本のロックファンクバンド

1979年3月活動開始。1982年にアルバム『南蛮渡来』を発売。1983年から1985年にかけては江戸の精神的不調により活動休止。1989年にはアルバム『それから』でBMGビクターよりメジャーデビュー。1990年1月27日江戸の入浴中の事故死により、解散した。

来歴[編集]

1979年3月8日、上馬ガソリンアレイにて初ライブを行う。この時の名称は『江戸&じゃがたら』。『エド&じゃがたらお春』、『財団呆人じゃがたらお春』、『財団法人じゃがたら』などと名称はライブを行うごとに徐々に変化。1980年頃から江戸が流血、放尿、ニワトリやシマヘビを生きたまま食いちぎるなどの過激なパフォーマンスを行い、それがエログロ的な関心を集め週刊プレイボーイなどの一般誌に取り上げられた。

1981年、自らのレーベル・アグリーオーファンレコードより、1st.シングル『LAST TANGO IN JUKU』をリリース。初の関西ツアーを行う。パフォーマンス目当ての客でどこでも大入りになるが、江戸は音楽がまともに聞かれない状況に嫌気がさし、このツアー以降、音楽だけで勝負する決意をする。9月にギターにOTOが参加しファンクアフロビート色を強め、バンド名を『暗黒大陸じゃがたら』に改称する。

1982年、1stアルバム『南蛮渡来』を発表。中村とうよう渋谷陽一らに絶賛され、初期の過激なパンクロックとこれ以降のファンク・アフロ・レゲエなどの要素が混淆した独特の音楽性は、プレスにおいても純粋に音楽的な評価を受けた。10月「ヤングタッチ」(東京12チャンネル)に出演、生放送ライブ中のスタジオに突然G.I.S.M.の横山SAKEVIらが乱入、江戸と乱闘になる。同月「渋谷陽一のサウンドストリート」(NHK-FM)に出演。多数のライブに出演し、以前のエログロイメージを吹っ切るかのように音楽中心の活動を展開した。

1983年、『じゃがたら』へバンド名を改称。駒場のマンションの屋上に専用の「じゃがたらスタジオ」を作る。町田町蔵らをゲストに迎え、そのスタジオでレコーディングした8インチEP『家族百景』をリリース。日比谷野外音楽堂で行われたイベント「天国注射の昼」に出演するなど精力的な活動を繰り広げるが、11月の関西ツアーの途中から江戸が精神疾患を患い、ライブをすっぽかす、ライブ中に急に歌わなくなる、ナベ以外のメンバーとは一切会話をしなくなる等の奇行を繰り返し、翌年から入院する為休養期間に入る。なお、江戸の休養中、バンドは解体の危機に瀕するもOTOを中心に『じゃがたら2世』として活動を続行し、江戸の復帰を待ち続けた。

故郷の高知県中村市(現四万十市)で静養に努めていた江戸は映画監督・山本政志の尽力もあり、1985年に日比谷野外音楽堂で行われたイベント「アース・ビート伝説'85」で復帰。そして、江戸の発病前後のライブの模様がアルバム『君と踊りあかそう日の出を見るまで』として発表される。

1986年から江戸が東京で暮らす準備ができ、本格的に活動再開。11月の六本木インクスティックでのライブでは以前のイメージとは結びつきそうになかった全員赤の揃いのジャケット姿で登場。12月「ライブ・ジャック」(フジテレビ)に出演。なお、1986年頃からライブや作品で『JAGATARA』とバンド名をクレジットするようになる。

1987年にアルバム『裸の王様』、『ニセ予言者ども』、山本政志の映画「ロビンソンの庭」サントラなど矢継ぎ早に作品を発表。4時間踊りっぱなしのライブ「DANCEMANIA 4 HOURS」(渋谷パルコ・パート3)、MUTE BEATトマトスS-KENと共に、シリーズ・イベント「東京ソイソース」(インクスティック芝浦ファクトリー)を開催。東京ソイソースでは、ライブとライブの間にDJが入るという初めての試みをし、いとうせいこう&タイニー・パンクスランキン・タクシーなども出演した。その他多数のライブ、学園祭等に出演し観客動員も急上昇する。また、横浜寿町フリーコンサートにも数度参加している。[1]

1989年にアルバム『それから』でついにBMGビクターよりメジャーデビュー。ミュージック・マガジンの1989年・日本のロック部門で1位に選ばれるなど高い評価を得た。同年末にはわずか3曲入りのアルバム『ごくつぶし』を発表。さらにアフリカなどのミュージシャンとのコラボレーション・アルバム『おあそび』をレコーディング中(江戸の死後リリース)の翌1990年1月27日、江戸が入浴中に溺死するという事件が発生。中心人物の欠落によってバンドは解散した。なお江戸は死去直前にバンド脱退を申し出ていた。[2]

その後、1992年4月8日にはナベが急性肺炎で、1992年12月9日には篠田が心筋梗塞で相次いで世を去った。1990年以降、数度に亘ってメンバーが参加する追悼イベントが開催されている。

主なメンバー[編集]

JAGATARAと並行してトマトスにも在籍、解散後はPHAT DOGS、MAMBABOOなどで活動
  • ナベ(渡邊正己)(ベース)(1979年~) 
JAGATARAと並行してトマトスにも在籍、解散後はイモンズを結成
加入前は後にAUTO-MODを結成するジュネのマリア023に在籍、またJAGATARAと並行してビブラストーンで活動、1991年にあがた森魚雷蔵へ参加、1994年に南流石らとTANGOSを結成、2004年に元ZELDAのサヨコらとサヨコオトナラを結成
加入前は生活向上委員会、PUNGOなどに在籍、またJAGATARAと並行してチンドン楽団、オルケスタ・デル・ビエント、コンポステラなどでも活動
  • テイユウ(中村貞祐)(ドラムス)(1983年~) 
加入前はザ・スターリン、火の宮などに在籍、解散後はKUSU KUSUのマネジメントなどを行った。
解散後は自らのバンド、オズ・ アマレーロスなどで活動
解散後は自らのバンドSOLID BRASSなどで活動
  • エマーソン北村(北村賢治)(キーボード)(1988年~) 
解散後はMUTE BEATシアターブルックなどで活動
コーラス兼ダンサー。解散後は主に振付師として活躍。1994年にOTOらとTANGOSを結成、2012年には佐藤タイジ大塚愛らとRabbitを結成。
  • ユカリ(塚越優香)(コーラス&ダンス、サックス)(1985年~1989年) 
加入前はタンゴ・ヨーロッパに在籍。当初は南と共にコーラス兼ダンサーとして加入するが、篠田の薫陶を受けサックスを習得。バンド後期に脱退し、解散後は「Yukarie」(読みはユカリ)名義でサックスプレーヤーとしてTHE THRILLMean Machine河村隆一のバックメンバーなどで活動(Mean Machineではベース担当)

一時的に在籍したメンバー[編集]

  • 川辺徳行(ドラムス)(1979~1982年)
  • 尾島秀紀(ギター)(1979~1981年)
  • ウメ(ドラムス)(1982年)※川辺の後任ドラマー、短期間で脱退
  • 溝口(ドラムス)(1982年)※ウメの後任ドラマー、短期間で脱退
  • SAMMY(ドラムス)(1982~1983年)
  • 吉田哲治トランペット)(1983~1989年)
  • 政野早希子(コーラス)(1989年~) ※ユカリの後任コーラスとして加入。
  • 長嶌BEM(サックス)
  • ホワチョ(パーカッション) ※LIVEのみ参加
  • オナガミドリ(パーカッション) ※LIVEのみ参加
  • 奥村恵子(パーカッション) ※LIVEのみ参加

ディスコグラフィー[編集]

アルバム[編集]

  • 南蛮渡来 LP/CD(「暗黒大陸じゃがたら」名義,1982/5) 
再発の度にジャケットが変わり4種類のジャケットがある、CDには「元祖家族百景」「ウォークマンのテーマ」をボーナストラックとして収録
1983年11月22日法政大学、1984年2月25日渋谷屋根裏でのライブを収録、CDには「岬で待つわ」を追加収録
LPは色違い4種類のジャケットで発売
LPはB面に吉川洋一郎、ハムザ・エル・ディンの曲を収録、CDはJAGATARAのみで、「ハルマゲドンをぶっとばせ(goggle remix)」をボーナストラックとして収録、CDはジャケットが2種類ある
メジャーデビュー・アルバム、オリコン最高位52位[3]、LP、CDでジャケットが違う
12インチ「JA・BOM・BE」と「UKI UKI」のカップリング
アフリカなどのミュージシャンとのコラボレーション作品
1993年2月7日に行われた追悼イベント(渋谷ONAIR)を収録
1979年9月18日上馬ガソリンアレイでのライブを収録

シングル[編集]

  • 「LAST TANGO IN JUKU / HEY SAY!(ロックを葬り去る歌)」 EP (「財団法人じゃがたら」名義,1981/4) 
松原研二「じゃがたら写真集」付録としてCD化
  • 「家族百景/プッシー・ドクター/日本株式会社」 8インチEP/CD (1983/5)
  • 「UKI UKI」 LIVE 12インチEP (1987/4) 
1986年9月6日「東京ソイソースVol.1」(渋谷ライブイン)を収録
  • 「JA BOM BE」 LIVE 12インチEP (1988/3) 
1987年12月11日「HEY GOGGOLE TOUR」(渋谷パルコ・パート3)を収録
  • 「タンゴ(完結バージョン) / ゴッドファーザー」 CDシングル (1989/4)
  • 「そらそれ」 マキシシングルCD(1990/5) 
アフリカなどのミュージシャンとのコラボレーション作品

ビデオ・DVD[編集]

  • 「天国注射の昼」 VHS(1984) 
1983年8月21日、9月17日に日比谷野外音楽堂で行われたイヴェントのオムニバス
  • 「問題盗撮6」 VHS(1985) 
アダルトビデオの最後に、1986年6月8日アケミ復帰記念ライブ(渋谷ライブイン)を収録
  • 「み・ん・な」 VHS(1986) 
1986年9月26日豊島公会堂でのライブを収録
  • 「例のヤツ」 VHS(1987) 
1987年12月11日「HEY! GOGGLE TOUR」(渋谷パルコ・パート3)と1987年10月4日「東京ソイソースVol.3」(インクスティック芝浦ファクトリー)を収録
  • 「HEY!GOGGLE」 VHS(1988) 
1987年12月11日「HEY! GOGGLE TOUR」ほかを収録
  • 「ナンのこっちゃいI~HISTORY OF JAGATARA」 VHS/DVD(1990) 
アケミの死にともない制作された、10年間の活動のドキュメント
  • 「ナンのこっちゃいII~HISTORY OF JAGATARA」 VHS/DVD(1990) 
アケミの死にともない制作された、10年間の活動のドキュメントの続巻
  • 「ナンのこっちゃいIII~HISTORY OF JAGATARA」 VHS/DVD(1990) 
アケミの死にともない制作された、10年間の活動のドキュメントの最終巻
  • 「ベイビー!ごきげんにやってるかい」 VHS(1993) 
1989年8月12日「横浜寿町フリーコンサート」を収録
  • 「この~!!(もうがまんできない)」 DVD(2005) 
1989年8月12日「横浜寿町フリーコンサート」、1987年10月4日「東京ソイソースVol.3」、1988年9月17日インクスティック芝浦ファクトリーでのライブ、死の直前の1990年1月24日に行われた鮎川誠との対談(CATV「ROCK THE ROCK」)を収録

非売品

  • 「タンゴ(SOUND SYSTEM MIX)/ヘイセイ(1986年9月6日東京ソイソースVol.1(渋谷ライブイン)」 7インチEP 
ビデオ「み・ん・な」の特典(CSV渋谷のみ)
  • 「日本人て暗いね(1981年5月1日京都磔磔)/がまんできない(1981年5月1日京都磔磔)」ソノシート
アルバム「南蛮渡来」再発LPの特典
  • 「中産階級ハーレム」 7インチEP 
片面のみ、アルバム「それから」発売プロモーション用EP

書籍[編集]

  • 江戸正孝(江戸アケミ)「それから-江戸アケミ詩集」 思潮社(1993)
  • 松原研二「じゃがたら写真集」 オークラ出版(2000)
「LAST TANGO IN JUKU / HEY SAY!(ロックを葬り去る歌)」のシングルCD付
2009年に「江戸アケミ墓参記」を追加した増補版発行

レコーディングに参加した主なミュージシャン[編集]

関連人物[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

出典・脚注[編集]

  1. ^ 1979年~1987年までの来歴は、『南蛮渡来』再発LP付録(CD『君と踊りあかそう日の出を見るまで』に再録)の バイオグラフィー「黒い種馬1979-1987」八木康夫(ヤギヤスオ)著を参照。
  2. ^ 陣野俊史著「じゃがたら」(河出書房新社)より
  3. ^ ORICON STYLEより