きょうを守る

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
きょうを守る
監督 菅野結花
製作 菅野結花
出演者 菅野佳江
河野義典
佐々木恵理加
田村尚子
濱口芽
堺昌子
麓登美子
佐々木百利江
菅原渚
主題歌 ほしぞら と てのひらと
撮影 菅野結花
小澤智之
編集 菅野結花
公開 日本の旗 2011年11月20日
上映時間 70分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
テンプレートを表示

きょうを守る』(きょうをまもる)は、2011年日本ドキュメンタリー映画。

製作[編集]

2011年3月11日岩手県陸前高田市は、津波による甚大な被害を受けた。この年の夏、地元出身で山梨県立大学3年(当時)の菅野結花(かんのゆうか)が、故郷の陸前高田を撮影した。彼女自身も家族は無事だったものの、実家は流された。母や知人など、身近な9人へのインタビューで構成され、震災から4 - 5ヵ月経った時点でのそれぞれの「震災」が語られていく。

菅野の同級生や近所の人達は震災による津波で亡くなっていた。菅野は、被災者の立場で被災者の今を記録し、今を一生懸命生きる人々の姿を伝えたいと映画製作を思い立った。その思いを2011年5月16日、菅野がボランティアスタッフとして参加していたやまなし映画祭のディレクター(当時)・小澤智之、山梨県立大学の映画祭事務局長(当時)・前澤哲爾教授、そしてやまなし映画祭企画顧問(当時)の映画監督崔洋一などに打ち明けたところ、崔洋一らから「自分の手で撮るべきだ」と進言され、映画製作は本格的に動き出した。

撮影にあたって、菅野は元テレビ山梨報道記者の小澤智之からビデオカメラによる撮影の基本を学んだ。そして撮影・編集用の機材は、前澤哲爾教授が提供した。撮影は2011年7月と8月の計5日間、陸前高田市で行われた。7月の撮影時には、前澤教授、小澤らも同行し、前澤教授が車両の運転、小澤がカメラの撮影や技術的な補助を行った。この模様は、NHK甲府放送局山梨日日新聞朝日新聞甲府総局山梨放送の記者が同行取材を行い、各社の新聞やテレビで報道された。同行取材はなかったが、共同通信甲府支局も映画製作の記事配信を全国に行った。

監督・撮影・編集・ナレーションを務めた菅野は映像専攻の学生ではなかったが、被災者と同じ目線で撮影された映像は反響を呼び、2011年11月20日のやまなし映画祭での初上映以降、上記の各メディアによる報道の力もあり、これまで国内60カ所以上で上映、英語字幕版も作られ、アメリカ各地の大学でも上映された。

菅野は震災後、陸前高田への帰省を重ねる中で「今まで『当たり前』だと思っていた日常も、山梨で過ごしている今日の生活も、誰かに守ってもらっていたものだった」との思いを強くした。「陸前高田のこと、そして災害自体をも身近にとらえることで、その人の『きょうを守る』きっかけになれば」という思いが、作品のタイトルに込められている。

主題歌[編集]

東日本大震災の後、日々報道される被災地各地の現状に、祈りの気持ちをこめた楽曲を作らずにいられなかった詩人・作詞家の覚和歌子と作・編曲家・鍵盤楽器奏者の丸尾めぐみは、何か自分たちに出来ることをと考えたとき、「ほしぞら と てのひらと」を完成させた。

2人の友人の山梨県立科学館学芸員(当時 現在は天文アドバイザー)・高橋真理子が 講師として教鞭をとっている山梨県立大学の教え子だった菅野が被災地のドキュメンタリー映画を撮影していると知り、菅野に「ほしぞら と てのひらと」を主題歌にしてはどうかと紹介した。被災者の心情によりそう「ほしぞら と てのひらと」の内容が映画に相応しいのではと感じて菅野が主題歌に決定した。その後、この曲はNHK甲府放送局の2011年の年末報道番組のエンディングテーマ曲に使用された。

英語字幕版[編集]

アメリカ・パデュー大学畑佐一味教授が、映画『きょうを守る』のニュースインディアナ州NHK国際放送テレビジャパン)で視聴し、字幕をつける可能性に興味を持ち、その旨をやまなし映画祭の関係者にメールを送った。監督の菅野は畑佐の申し出を快諾し、英語字幕プロジェクトが始まった。

字幕つけをプロに仕事として依頼するのではなく、本編を分割して、日本語を勉強している学生達が手分けして字幕をつけるという学習プロジェクトと位置づけた。こうすることで、単に字幕付きのドキュメンタリーを制作するだけではなく、日本語の学習活動をしながら、震災の被害についての理解を深め、これからの復興について考える機会を持つというプロジェクトになった。

パデュー大学の同僚である深田淳教授が字幕付けの作業を進める具体的な方法と段取り作りに協力した。関係者のみがアクセスできるようにGoogle Docsに作業用のファイルを作り、分割した本編の映像ファイルがAVI形式で用意された。

本編(70分)を16の部分に分割した。脚本に基づいて台詞を言っているドラマや映画と違い、自然なインタビューでは、言いよどみ、言い換え、繰り返し、独り言、間違い、終わりがない文などが多く含まれ、文字おこしの作業は学習者には本人達が想像していたより難しかった。難しすぎる場合は担当教員あるいは日本語母語話者が手伝った。文字おこしした日本語を英訳し、それを元にAegisubという字幕ソフトを使って、独立した字幕ファイルを作る作業を進めた。

プロジェクトに参加していたのはパデュー大学(深田淳畑佐一味)、ミドルベリー大学スティーブ・スナイダー)、アメリカカナダ大学連合日本研究センター(秋澤委太郎半沢千絵美)、タフツ大学森田喜代子)、フランクリン&マーシャル大学三浦謙一)、エリザベスタウン大学高橋宣明)、ワシントン&リー大学氏家研一)、ノートルダム大学纐纈憲子)、インディアナ大学(栗山)、イリノイ大学(サドラー)、カールトン大学加賀真理子)、ユタ州立大学(ニーリ敦子)であった。

なお、日本語学習者の上級者には中国語母語話者、韓国語母語話者も多く含まれていたので、それぞれの言語での字幕づくりも進められた。現在はトルコ語字幕、韓国語字幕、日本語字幕がある。

第4回座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルコンペティション部門入賞&新人賞受賞[編集]

『きょうを守る』は、 2013年2月11日に開催された第4回「座・ 高円寺ドキュメンタリーフェスティバル」のコンペティション部門で新人賞を受賞した。新人賞は菅野の作品のために急遽、新設された。

座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル」は、記録映画教育映画テレビドキュメンタリーといった、あらゆるドキュメンタリーを一堂に集めて上映するイベントで2010年から毎年開催されている。

コンペティション部門は、映画・テレビ・自主制作などプロ・ アマ問わず、新しい才能を全国から発掘するため第1回から行われており、2013年は全国から52作品の応募があった。

2月11日、一次審査・最終審査を通過し入賞した『きょうを守る』を含む全4作品の上映が行われた後、ジャーナリスト田原総一朗映画監督森達也ら5人の審査員により、大賞が決定された。その結果、今後に期待を込めて、菅野の作品『きょうを守る』のために急遽、新人賞が新設され、受賞することとなった。テレビ局のドキュメンタリーなどが目立つ中での菅野の作品の受賞は大賞は逃したものの、高い評価を得た。新人賞発表の様子はテレビ山梨ニュース番組『UTYニュースの星』で放送された。新人賞受賞のニュースは山梨日日新聞読売新聞甲府支局NHK甲府放送局が伝えた。

<主な審査員講評>

森達也(映画監督) 「テレビに対してのアンチテーゼである。マスメディアには、なかなか作れないので、今後も頑張ってほしい。」

橋本佳子ドキュメンタリージャパン プロデューサー) 「菅野さんが撮ったインタビューは、舌を巻くくらい、 聞き入った。 インタビューを受けている人達の表情を的確に捉えている。こうした作品はなかなか出合えない。」

大賞には『標的の村〜国に訴えられた東村・高江の住民たち〜』( ディレクター:三上智恵琉球朝日放送)が選ばれた。この作品は、オスプレイ配備を巡り、国と戦い続ける沖縄県東村・ 高江の住民たちの怒りを描いたドキュメンタリー。

<審査員(敬称略) > 田原総一朗(評論家・ジャーナリスト) 佐藤信(劇作家/演出家/「座・高円寺」芸術監督) 橋本佳子(ドキュメンタリージャパンプロデューサー) 森達也(映画監督・作家) まつかわゆま(シネマ・アナリスト)

その後[編集]

監督を務めた菅野結花は2013年3月山梨県立大学を卒業、この作品をきっかけに報道志望となった菅野は地元・岩手日報の記者となった。大学卒業時、菅野は「今後もできる限り被災地を見つめる活動を続けていきたい」と話していた。菅野は現在東京を中心の演劇活動を続けている。

スタッフ[編集]

外部リンク[編集]