血だるま剣法/おのれらに告ぐ

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血だるま剣法(ちだるまけんぽう)は平田弘史漫画である。1962年7月に日の丸文庫より刊行されたが、部落解放同盟の抗議を受け刊行より1ヶ月で回収・絶版となった。おのれらに告ぐはそれより6年後の1968年に執筆された血だるま剣法のリメイク版である。2004年呉智英監修のもと、青林工藝舎より42年ぶりに復刊された。


注意以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。


目次

[編集] あらすじ

寛永9年、猪子幻之助は師の朽木一伝斉を自らの手で殺害し、死体の血で門弟たちへの復讐を宣言する声明文を書き残し道場を去る。被差別部落の出である幻之助は、剣の道で身を起こし、同じような差別を受ける部落民を救おうと修行に励んでいたが、異常ともいえる稽古熱心さから他の門弟たちからは忌み嫌われていた。やがて幻之助が被差別部落の出であることが他の門弟たちにもばれ、幻之助への風当たりはますます強くなり、さらに師の一伝斉までもが自らを殺そうとしていることを知ると、ついに幻之助は発狂する。師を殺し、宣言どおりに他の門弟たちを次々と惨殺していく幻之助。物語は、際限なき血みどろの復讐劇へと突き進んでいく。

[編集] 部落解放同盟からの抗議、絶版

『血だるま剣法』は日の丸文庫の貸本誌「魔像」の別冊として1962年7月に刊行されたが、1ヶ月ほど経った1962年8月、部落解放同盟大阪府連から「差別偏見を助長する」として日の丸文庫へ本作に対する抗議が寄せられた。抗議を受けた日の丸文庫は本作を回収・廃棄・絶版処分し、以降2004年になるまでどこの出版社からも復刊されることはなかった。

表向きには完全に処分されたと思われた『血だるま剣法』だったが、実際には回収・廃棄処分は徹底して行われてはいなかったようで、日の丸文庫の倉庫に大量に保管されていたという。同社に入社した山松ゆうきち山上たつひこがそれを発見しており、山上にいたっては自作にてこの血だるま剣法をパロディにしている。また売れ残り品が古本屋や露店でひそかに売られていた可能性もあるという。

[編集] 抗議内容

部落解放同盟大阪府連は次の3点が問題箇所であるとして抗議を行った。

  1. 作品に記述されている部落の起源が科学的歴史観に反した偏見で書かれている。
  2. 部落民を残酷な人々と描くことで部落解放運動をゆがめている。
  3. 最後に主人公を死なせ、それを笑うことで部落の人が死に絶えればいいと思わせている。

1.の項に関しては、現在発行されている血だるま剣法には部落に関する記述に伏字処理がされているため、本作における部落への認識が誤りかどうかを確認することは出来ないが、少なくとも本作を読む限り2.と3.の項に関しては的を射た批判とは決して呼べない。しかし、本作が刊行された1962年ではまだ漫画自体に市民権が認められておらず、また部落差別問題が現在よりも深刻であったこと、さらに差別摘発運動が熱を帯びていた時代であったこともあり、日の丸文庫側は涙を飲んで絶版処分する他はなかった。その上この事件に関するまともな議論は行われず、時代背景によって作品に対しての正当な評論がされないまま、『血だるま剣法』はその後40年以上にわたり封印されてしまうこととなった。

情熱を注いで作り上げた自作が、全うな批判をされることなく抹殺されたことに到底納得の出来なかった平田弘史は、この事件より6年後の1968年、「コミックマガジン」(芳文社)に本作をリメイクした「おのれらに告ぐ」を執筆した。

[編集] 復刊

廃刊以降、平田弘史の初期最高傑作とされながらも、目にかかることの出来ず伝説化された『血だるま剣法』だったが、2004年に呉智英監修のもと、山松ゆうきちの所持していた赤本をもとに青林工藝舎よりついに復刊されることとなった。

復刊に際し、呉は部落差別に関する記述のうち、誤解を生みやすいと思われる箇所には伏字処理を行った。また本作では「非人」と「エタ」が混同して使用されていることも問題とし、これらの箇所も伏字処理がなされている。

『血だるま剣法』のリメイク版である『おのれらに告ぐ』も同時併録されており、また本作が絶版となった経緯について、監修を行った呉智英による解説にて詳しく述べている。

なお、2005年に山松ゆうきちがインドにおいて、ヒンディー語版『血だるま剣法』を出版。その顛末は山松の作品『インドへ馬鹿がやって来た』に詳しい。

[編集] 関連項目