おたっきぃ佐々木

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おたっきぃささき

おたっきぃ佐々木
生誕 佐々木 伸
ささき しん

(1969-10-10) 1969年10月10日(54歳)
日本の旗 日本東京都目黒区
住居 日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
出身校 日本の旗 日本法政大学
職業 ラジオディレクター
活動期間 1991年 -
時代 平成時代初期 -
雇用者 株式会社MFS
活動拠点 日本の旗 日本
配偶者 あり
子供 娘2人[1]
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おたっきぃ佐々木(おたっきぃささき、本名:佐々木 伸(ささき しん)、1969年昭和44年)10月10日 - )はラジオディレクターおよびパーソナリティーライトニングスカーレット(解散)の元・代表取締役[要出典]愛称は「おたささ」。

来歴[編集]

東京都目黒区出身。攻玉社高等学校法政大学文学部英文学科卒業。実家は自由が丘焼鳥屋を営んでいる[2]

大学在学中にセガ内定を受けるが、留年により内定を辞退。その後、1991年平成3年)に文化放送系列の番組制作会社セントラルミュージック (JCM) に入社。当初は一般の番組でADとして下積みをしていたが、上司の「佐々木、アニメとか好きなんだって?」という一言をきっかけとして、1993年(平成5年)春より「MADARA転生編」のADを担当。同年10月、國府田マリ子パーソナリティの「ツインビーPARADISE」でディレクターデビューを果たし、その後多数のアニメ系ラジオ番組文化放送A&Gゾーン)のディレクターを手がける[3]

「ツインビーPARADISE」中期からは「おたっきい佐々木ファンクラブ」のコーナーで番組内にも登場、そこから各種メディアにも登場するようになる。

1997年(平成9年)10月には、文化放送のアニラジ超機動放送アニゲマスター」のパーソナリティに抜擢される。彼にとってラジオパーソナリティとしてのデビュー作となったこの番組は、2004年(平成16年)3月に終了するまで6年半にわたり続いた長寿番組となった。

1998年(平成10年)にテレビ東京の番組「渋谷でチュッ!」を一般人に交じって観覧している様子が未公開集で流された。奇抜な格好をしていたからか「こう見えても偉い人」のテロップが入っていた。

キッズステーションで放送されていたアニメ情報番組「アニメぱらだいす!」の司会を野川さくらと一緒に担当していたことがある。

2005年(平成17年)以降、ラジオ業界の一線からは退き、家業を継ぐ傍ら、地元である自由が丘のクラブ「ACID PANDA CAFE」(現在[いつ?]渋谷に移転)の月例イベント「聖子changの昭和ボンクララウンジ」で、昭和アニソンDJ「撲殺先輩」として活動している[4]。なお2011年(平成23年)8月よりラジオ大阪の「がちヨミ!デコよみ!?」で、ラジオDJとしても復帰した[5]2017年(平成29年)1月から、株式会社MFSに所属し、ラジオディレクターとして活動することを自身のFacebookで発表した。

手がけた作品・番組[編集]

ラジオ[編集]

放送が終了した主な番組

テレビ[編集]

現在、放送中の主な番組
放送が終了した主な番組

ゲーム[編集]

アニメ[編集]

書籍[編集]

  • フッ完全おたくマニュアル(ワニブックス 1997年 ISBN 978-4847032486

イベント[編集]

  • DREAM POWER 2001(2001年開催、文化放送A&Gのイベント)
  • TOKYO ANIMESONG STATION(2002年10月開催、司会&プロデューサー)

歌唱[編集]

※ 全曲、作詞も担当

作詞[編集]

脚注[編集]

  1. ^ おたっきぃ佐々木etc. (@otasasa) - X(旧Twitter) 2021年3月10日閲覧。
  2. ^ ラジオ ビッグバン: 11/30放送分[リンク切れ] - 智一・美樹のラジオビッグバン公式ブログ文化放送) 2021年3月10日閲覧。
  3. ^ 著書「フッ完全おたくマニュアル」より
  4. ^ 2008年(平成20年)12月1日放送のラジオビッグバン500回記念パーティーの本人コメントより
  5. ^ 番組紹介:がちヨミ!デコよみ!?”. HiBiKi Radio Station. 2021年3月10日閲覧。[リンク切れ]
  6. ^ a b c d e otasasaの2017年12月25日23時14分のツイート- X(旧Twitter)
  7. ^ otasasaの2017年7月14日22時34分のツイート- X(旧Twitter)

外部リンク[編集]